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六欲天 No.9 神道・神社信仰2

羽のない鳥は致命的な欠陥

 化楽天の続きですが、まずは「神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・」についてお話しします。

スレッドを立てた神主からは「神社界の悪い体質を世間の目にさらすことで健全化を図りたい」という意図が読み取れます。
それに対して同業者・熱心な信仰者にとっては不都合なので「お前はやってはいけないことをしたんだ、わかるか?一番の背徳行為は今現在のお前だ」「このたわけがまだわからないのか?世の中には暗黙の了解で見てみぬふりしなきゃならん裏側ってのがあるんだよ」などの批判を加え不安を煽ろうとするコメントもありました。
内部告発は勇気のいる行動ですが、ネット上でなければ嫌がらせや暴行、業界追放、不当な社会的制裁、場合によっては命を狙われる危険性もあります。
自分が崇拝している信仰対象が盲目的に正しいと思い込み、不都合な物事を隠そう、逆らう者を排除しようとする狂信者は恐ろしく厄介です。

このブログは宗教界が相手なので・・・(´;゚;ω;゚;`)うわぁ
宗教界の方々はブログの内容に怒りの念を起こすかもしれませんが、矛先は生命の源である仏(宇宙の自然法則)や釈迦・イエス・シルバーバーチに向けることです。
マグナムはどのような原因を積めば、どのような結果になるのか知っているので「各々の幸せのため、周りの幸せのためにどうでしょう?」と仏の意思に従いお勧めしているだけです。
全ての方々の自由意思を尊重していますから読む読まないも自由、行動するしないも自由です。
親が子に「勉強しなさい!」と言っても、本人にやる気が無ければどうしようもないように、社会に出てから「あの時いうことを聞いておけば・・・」と後悔しても、責任は本人が取るのですからそれも良いでしょう。
ただし、宗教の間違いを正すための体験は、いつどこでどのような事象で学ぶのかは仏(宇宙の自然法則)のみが知るところなので、その時が来たら「どうして、このような理不尽な目に・・・」なんて無責任なことを言わず正しく自分と向き合うことです。 因果律に偶然はありません。

それでは話を戻して。
様々なコメントの中に、皆さんと共通する意見はありましたか?或いは、一つも共通する意見が無かった方もいるかもしれませんね。
自らの信仰する宗教(行動)を正当化し、擁護するための常套句がコメントの中にありましたが、皆さんは気付きましたでしょうか?

「確かに神主には悪いやつもいる!でも立派な神主は数えきれないくらい大勢いるのに、この事で神主全体批判されるのは悲しい」

「尊敬できる神職さんもたくさん居る」

「真剣に参拝者一人一人と丁寧に向き合う零細神社の神主もたくさん居る。」

このようなことを言われたら、皆さんはどのように考えますか?
神社信仰をしている方であれば自分の行動を正当化するコメントは好都合なので安易に同調しやすく、大半の方々は相変わらず盲目的に賽銭投げて・お守り買って・宗教行事等に参加してしまうのではないでしょうか。

それでは正見を活かして安易に同調しないためにはどうしたら良いのでしょう?
立派・尊敬・真剣と言われても、そもそも定性的(数値では表せない)な人間性を評価することは難しく、本人以外には本当の本性は分かりません。
また、神主の衣装をまとっていても猫がねずみの様子をうかがうように、表と裏の顔が違うことは御承知のとおりです。しかし、理想的な神主が絶対に居ないとは言い切れないのも確かです。
さすがに‘数えきれないくらい大勢’、‘たくさん’は誇張しすぎなので、「そんなに知っているなら神社・神主名を合わせて教えろください。」と言えば沈黙するかもしれませんね。
実は、このような常套句に惑わされないためには、別なところに着目する必要があります。

「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。」(マタイによる福音書、7:17,18)
イエスの教えの一節を‘良い木、悪い木の例え’と名づけますが、スレッドの内容を分かりやすく置き換えます。
悪い実とは神社界の悪い体質のことであり、悪い実のなる原因は木が悪いからです。悪い木とは神社信仰のことです。
神社信仰という悪い木が原因となり、その結果、悪い体質の実が結ばれたということになります。

次のコメントはどうでしょう。

「腐ってんのは神道じゃない。そこに居る人間。」

「要は宗教・信仰形態が腐ってるんじゃなくて、法人として腐ってる部分がどうやら少なくない、ってことじゃね。我々が神道から離れたら、本当に神道がダメになってしまう」

また置き換えます。
「腐ってんのは神道という良い木じゃない。そこに居る人間という悪い実。」

「要は宗教・信仰形態という良い木が腐ってるんじゃなくて、法人という悪い実の腐ってる部分がどうやら少なくない、・・・」

どうでしょう?これらの文は良い木から悪い実がなっていますね。
宇宙の自然法則は正直ですから良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできないのです。
ここまでをまとめると、神社信仰をすることが原因となり、人間性が腐り始め、その結果、悪い体質(環境)が作られたということになります。

さらに根本原因を明瞭化するために着眼点を掘り下げて、悪い木を神社界、悪い実を神社信仰に置き換えます。
悪い実である神社信仰を正当化し、悪い木である神社界に栄養を与え続けることは、信仰者に罪悪感がなくとも、罪をこしらえることになりその責任は必ず取らなければなりません。
‘栄養を与え’とは、神社参拝・お守り・おみくじ・絵馬・神札・破魔矢等や宗教行事に参加し、神社界を支援し資金を提供することです。

なぜ罪をこしらえることになるのか?理由は以下の二点となります。

 シルバーバーチは語るより抜粋
牧師「地上での最大の罪は何でしょうか」

SB「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神(仏)への反逆でしょう」

ここでメンバーの一人が「その点を具体的に述べてあげてください」と言うと

「神(仏)の存在を知りつつもなお、それを無視した生き方をしている人々、そういう人々が犯す罪がいちばん大きいでしょう」とシルバーバーチが付け加える。
廃仏毀釈をし、いくつもの戦争で仏の子等の命を奪っただけでなく、現在も未熟な魂を霊界へと送り込み続ける神社界は間違いなく仏への反逆となります。
神社信仰の祈りを宇宙の自然法則に例えれば、降ってくる雨を雲に戻そうとする行為、或いは地球の自転を逆転させて太陽が西から昇るようにするような行為です。人間界の生命は自然(法則)の恩恵を受けて生きていることを忘れてはなりません。

 シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。
悪い木に栄養を与えることは筋の通らぬ勝手な訓えを説く神社界を栄え存続させることになり、現在の人々から未来の人々へ不幸のプレゼントをすることになるのです。
また、ネットや会話などで神社界を存続させるために不都合な物事を隠し、逆らう者を排除し、利己的に正当化することもまた同じであり、仏の教えに対しての妄語(嘘)の罪は非常に重いです。

最後にまとめますと、神主の良し悪しで判断するのではなく、神社界の悪い体質という結果に対する根本原因は何か?に着目します。根本原因は、人々の思想に悪い影響を与え、正常な魂の成長を妨げる’神社界(教義・迷信)’となります。
根本原因の神社界がなければ信仰もなく、信仰がなければ人間性が腐ることもなく、人間性が腐らないのですから悪い体質(環境)が作られることもなくなります。

神社信仰に焦点を絞りましたが、他の一神教・新興宗教・ニセ仏教にも同様のことが言えます。

 イエスの教えを使用したことでキリスト教の教義を全肯定していると、この記事だけを閲覧した方々が勘違いするといけませんので混乱しないように記載します。
福音書の一節を使用した理由は、原因と結果についての正しい筋道が説かれているからです。
ただし、聖書全体では宇宙の自然法則のかなめである因果律(因果応報と輪廻)が説かれておらず、必然的に業(ごう)もありません。これは鳥に羽が無いようなもので致命的な欠陥となります。
また、贖罪説(イエスを信じて洗礼を受ければ全ての罪をイエスが背負ってくれると言う都合の良い考え)という洗礼を受ければいきなり善人になってしまうようなイエスの教えをこれ以上なく侮辱する不公平な法則もありません。

 シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来より抜粋
あなたの行為の責任を他人の肩に背負わせる方法はありませんし、他人の行為の責任をあなたが背負うこともできません。各自が自分の人生の重荷を背負わねばならないのです。
イエスが全ての罪を背負ってしまうと言うことは、全ての苦難が無くなることを意味します。
しかし、現実は全ての苦難が無くなることはありません。なぜなら洗礼を受けて罪を悔い改めても、相変わらず罪びとのままだからです。罪びとだから教訓を学ぶ機会が得られ向上するのです。

洗礼以後に犯した罪の告白に対する赦しについても同様です。

 シルバーバーチは語るより抜粋
もしも自己中心の生活を送った者が、死の床での信仰の告白一つで、生涯を人のために捧げた人よりも高い界層に行けるとしたら、それは大霊(仏)を欺き、完全な公正が愚弄されたことになります。

傍若無人の人生を送った人間が死に際の回心でいっぺんに立派な霊になれると思いますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切しなかった人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”のひとことで全ての過ちが赦されるとしたら、果たして神(仏)は公正と言えるでしょうか。いかがですか
宇宙の自然法則は物的にも霊的にも必ず原因と結果で動いています。
例えば、プロのオーケストラに長く在籍するバイオリニストが少しの休憩後にいきなり全く演奏のできない素人になることは無く、逆にバイオリン初心者がプロのオーケストラの中でいきなり理想的な演奏は出来ません。
魂についても同様で、他人の迷惑も考えずやりたい放題の人生を送る未熟な魂が、死後にいきなり完全無欠の仏と融合して宇宙の自然法則のリズムに合わせてハーモニーを奏でることは出来ないのです。
演奏が上達するためには練習の積み重ねが必要なように、魂の成長のためには辛い経験を積み重ねて教訓を学ぶ必要があります。

未熟な教義からは未熟な思想が生まれ、未熟な思想の人々により未熟な環境が作られます。キリスト教徒は、キリスト教の教義が作り出した悲惨な歴史から教訓を学ばなければなりません。
また、それ以外の方々はわざわざ未熟な教義を取り入れる愚かな行為をしないことです。新しく未熟な思想が作られると善く諭しても自分の学んだ知識を肯定したいという利己的な欲望に負けてしまい真実を正しく受け入れられなくなります。盲人が盲人を導くところに並んでも物的にも霊的にも悲惨な結果が待つだけです。

化楽天と関係ない内容が続きますが正見に磨きをかけることはとても有意義なので、次回は釈迦、イエスの教える‘例え’についてお話しします。お疲れ様でした。(*´ω`*)

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

六欲天 No.8 神道・神社信仰1

 化楽天の続きです。

 前回の記事から一か月半以上経過しましたが、皆さんどのようにお過ごしでしょうか?

 A:前回の記事を読んでから耽溺または執着している対象を少しずつ減らしている。

 B:減らしたいとは考えたが葛藤に負けて今のところ普段通りの生活を送っている。たぶんこれからも変わらず・・・

 C:葛藤すらせず今まで通り。

貴方はどのグループに当てはまりましたか?
円グラフで割合を表すと、このような感じでしょうか。
2:8の法則
仏の真髄を知らず流転するのであれば、Aグループの結果が一番良いことは明らかですが、皆さんはそうならないように読まれていますので、現状はどのグループに含まれても問題ありません。
ただ、一つだけここから悟ってほしいことがあります。
それは「良いことだと分かっていても、実践するのは難しく、たとえ実践したとしても継続するのは更に難しい。」ということです。

例えば「経典・聖書にはこのような素晴らしい教えがあります。云々」と言ったところで、聞いている側が実践しなくては無意味となります。
宗教・スピリチュアリズム・啓発等の素晴らしい教えや立派な言葉を並べただけで民度が向上し、人々が苦悩から救われ、平和な世の中が築かれていくのであれば、もっとマシな歴史が残っています。
歴史から教訓を学ばなければ、仮初の平和に何となく流され、同じような悲劇や貧困、国難や悲嘆を何度でも繰り返します。
人間界で多くの不幸の原因を作りあらゆる生命の命を一番奪っているのは、大量破壊兵器ではなく宇宙の自然法則に逆らう宗教です。

アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃
南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏が残した名言から一つ
「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、云々」
言い得て妙ですね。
アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃へと導く体験の中で悟られたのでしょう。

我々は親・宗教・教育等の様々な環境から影響を受けて思想が作られて行きます。
そして様々な物事に接するとき、思想を通じて感じ思考します。

例えば、神国日本に仏教が伝来され神仏習合という考え方が広まることにより、「神と仏は一緒である」と考える人々が増えていきます。このような考えが長い時間をかけて人々の間に定着すると「神仏は一緒」という思想が出来上がり一般常識となります。
一般常識になると、たとえ疑問に思うAさんがいたとして「神と仏は違うのではないだろうか・・・何より字が違うでしょ?」と言っても、Cさんが「そんなの一般常識だよ、そんな事も知らないの?」と言えばAさんに集団の圧力が働き同調してしまうきっかけとなります。
なぜ集団の圧力になるかと言いますと、常識とは大多数が認める考え方および当たり前に知っている事だからです。
また、Aさんは一般常識という一言で思想に影響を受け、新たに似たような状況下での意思決定や行動に影響を及ぼす可能性があります。
もちろん神仏習合は間違った考え方ですが、神仏習合思想に頑固にこだわる人々には受け入れることができません。
このような人々は受け入れる備えが出来るまでは、閉鎖的原始信仰と無始から変わらぬ生命の源である仏(宇宙の自然法則)信仰の違いが分からないのですからとても不憫に思います。

閉鎖的原始信仰については、ヤノマミ族を参考にお話ししましたがヤノマミとは人間という意味です。
宇宙の自然法則を垣間みる霊能者を中心とした小集団ですが、霊能者は全てを知ることはできないので未熟な思想が部族の仕来り・迷信等を作ります。
ヤノマミ族の社会では部族以外は人間と認めない思想なので、残念ながら我々は人間ではありません。
じゃ・・・(´・ω・`;)人間もどき?
詳しくは六欲天No.2の仕切り線下側を改めて読まれることをお勧めします。

神社信仰は、戦後の次第に安定していく環境の中でお守り・おみくじ・絵馬・神札・賽銭箱等の全く価値の無い物に価値を付けて利益を得ながら大きく成長し蔓延ってきましたが、始まりは霊能者を中心としたヤノマミ族と変わりません。
また、支那には道教という原始信仰があります。解籤(おみくじ)・護符(神札、お守り)・陽紅布台(絵馬)・功徳箱(賽銭箱)は日本人の発想ではありません。
五円の付いたお守りは五帝銭古銭守りからの発想で、道教の陰陽五行思想を応用した風水の影響を受けています。
神体の鏡ついては、歴史について考察するブログではないので興味のある方は「天皇大帝 道教 三種の神器」で検索しましょう。
最後に道教の抬轎(神輿)です。
道教と神道・神社信仰
いずれにせよ宇宙の自然法則に逆らっていることに変わりありません。

最初は一株の毒草も仏の恩恵に浴した豊かな大地と温和な気候で美しい花を咲かせて生い茂るのです。
毒草だらけの大地にするのも、刈るのもそこに住む人々が決めることです。

神社は「日本の伝統」「日本文化の象徴」等と考えている人々がいます。
神社への初詣の参拝やお祭りが好印象を作り、お守りやおみくじ等は安全・安心を得たり運勢を占うのに手軽で、参拝は欲望を願うのに安易で好都合です。
「みんながやっているから」「楽しいから」「神社の雰囲気が好きだから」「伝統文化でしょ」等と、このような環境が思想に影響を及ぼすことは避けられないことです。たとえ宗教だと分かっていても警戒心が薄れてしまう人もいるでしょう。

しかし、歴史から教訓を学ばなければなりません。
明治維新から政府の政策により成立した国家神道が繁栄した結果、どのようになりましたか?
1868年4月5日に神仏分離令、1870年2月3日に大教宣布(天皇は神、神道は国教で日本は政教一致の国家とする国家方針)により廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がおこり、次第に国教化が進む中で、国家権力により信教の自由を奪われ国民に天皇を神として崇拝させるだけでなく神社信仰を義務づけ、邪(よこしま)な教化進行度(マインドコントロール)の歩調に合わせて日清・日露・第一次・日中・第二次世界大戦と大戦争への恐ろしい布石とも知らずに、まるで鼻づらに人参をぶら下げられた馬のように誘導されて行きます。その結果、追いつめられて太平洋戦争に突入し、多くの命が奪い奪われたことを忘れてはなりません。
廃仏毀釈とは、「釈迦の教えを壊(毀)し、仏を廃する」という意味です。
地上での最大の罪は何か覚えていますか?正にこれです。
宇宙の自然法則に逆らう宗教は、迷信や人間に都合の良い考えが付加される等の危険で未熟な教義なので、おのずとそのような思想の者達を生み出します。
そして権力側に浸透したとき、わずかな人間が大多数の人々の人権と自由を奪い、社会的混乱から様々な事件が引き起こされ、内部分裂および最悪の結果は戦争により多くの命が奪われます。
日本人が多くの犠牲の上に取り戻し獲得した重大な成果は、「天皇人間宣言、神道指令により国家神道が解体へ向かった事、政教分離、信教の自由」です。

また神様を拝んでいるのに「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という可笑しな考えがあります。
これは信教の自由に違反することなく神道・神社を他宗派の上位に位置づけ、国家神道の国教化を進めるために都合良く考え出された明治政府の詭弁です。
筋道の通る教義は無く、どこに向かって拝んでいるのかも全く分かりませんが、拝んでいるのですから宇宙の自然法則に逆らう立派な明治政府公認の新興宗教です。

「宗教やってる奴は総じてアホ」「宗教はビジネス」「宗教は甘え」「宗教は総じて糞」「カルト宗教ってキモい」「無宗教が一番」等と似たような考えを持っている人々の中には、豪快に巨大ブーメランが頭に突き刺さるか、顔面を直撃している人がいるかもしれませんね。

マインドコントロールにかかりやすい人ってどんな人だと思いますか?



「自分だけは大丈夫」と思っている人です。

環境にマインドコントロールされるとは、生活の中で様々な環境が思想に影響を及ぼし、強制せずとも、さも自分の意思で選択したかのようにある結論に誘導されてしまうことです。
深いマインドコントロールから覚める瞬間とは、夢から覚めて夢だと分かるようなものなのです。

近い未来には、神道・神社思想に影響された愚かな者がこのように言いますよ。
「日本人なのに参拝の作法も知らないの?二拝二拍手一拝ぐらいは日本人の礼儀として覚えているのが当然の義務だよ!」
「日本人なのに」「日本人の礼儀として」が集団の圧力として働きます。
作法を誰が考えたかはどうでも良いことですが、そのような行為で己の魂を自ら束縛するきっかけとなっても、それで神々が何とかしてくれるような都合の良い法則は地球にも宇宙にもありません。

また、仏に従う神々が宇宙の自然法則に逆らって人々の自由意思に干渉しないことは既に述べたとおりです。
もし、神々が悩みを代わりに解決したり、病気の苦痛を肩代わりしてくれるのであれば非常に有り難いことですが、そのような事をしたら教訓を学ぶ機会がなくなります。
苦難もなければお金の心配もない安楽の人生なら、そこには向上がなく堕落しかありません。
やりたい放題の人生を送り、夢まぼろしの幸せを追い求めた魂には、必ず過酷な体験を通して教訓を学ぶ機会が与えられるのです。それが宇宙の自然法則です。

神道・神社思想の影響を受けたように、仏教思想の影響を受けない人もいません。
日本語に着目すれば、諸行無常・因果応報・輪廻・四苦八苦・因縁・供養・人間・鬼畜・意識・葛藤・煩悩・妄想・不思議・愚痴・貪欲・外道・悪口・差別・平等・安心・愛・慈悲など多くの仏教用語を思慮せずとも自由自在に自然と使えます。参考までに思慮と自由自在と自然も仏教用語です。
置かれた境遇の違いにより理解・浸透・信仰心の程度に差はありますが、日本人は様々な物事に接するとき、特に意識することなく仏教思想を通じて感じ思考することができるのです。これはとても凄いことで、仏の教えをそのまま感じ受け止められることも含め、皆さんの福徳の一つです。
ただし断っておきますが、ニセ仏教は釈迦の教えを全く守っていないので注意が必要であり、生活の中で獲得した仏教思想とニセ仏教信仰を混同してはなりません。

化楽天の続きを書く予定でしたが、前置きがだいぶ長くなりましたので本筋は次回にします。

最後に、現役?の神主が神社の裏世界を暴露されていましたので掲載します。
「神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・」
次回、このお話について少し触れます。先に各々で色々感じていただければ幸いです。

それでは、お疲れ様でした。(*´∇`*)

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六欲天 No.7 化楽天(けらくてん)1

化楽天(けらくてん)

 六欲天の魔神界第五の天、化楽天(けらくてん)について、

兜率天のさらに遥か上層の虚空中に化楽天があります。大きな次元の隔たりがあり、天衆の善業の力が勝れていることはもうお話しする必要はないでしょう。殺さず・盗まず・淫らな行為をせず・嘘をつかず・悪口を言わず・真実に反して言葉を飾らずなど、善い生き方をしてきた生命にふさわしい楽報を受けます。

魔神界の魔は、天衆が全て悪魔のような悪い存在と言うことではなく、魂の状態の一要素としてこの天が魔性と言うことです。
天衆の魂にも我々と同じように、地獄界から仏界までの十個の要素があり、縁に触れて瞬時に変化することは、子ブタが溺れている子ヤギを助けるという動画でお話したとおりです。

この天の寿命は「人間の八百年を一日一夜とし、寿命は八千歳。また天人生の途中で死ぬこともある。」とあるので人間界の時間に換算すると、23億400万年になります。

宇宙船地球号が天の川銀河を10周する間ぐらいは楽園で過ごせることになります。
凄い長寿命ですが、もっと凄い話をしますと、地獄の中に大叫喚地獄というところがあり、この天の寿命が一日で尽きてしまいます。たった一日ですよ・・・それが八千年も続きます。
更に、この下には焦熱地獄、大焦熱地獄、阿鼻地獄と続くのですが、このような深い地獄に落ちる者は、仏の教えに対しての妄語(嘘)の罪が大きな要因となります。

話を戻しますが、この天の天衆は、自らの五感に接する対象を変化して、欲望の極みを不足なく十分に成就できる勝れた神通力を具えています。

どのような対象を作り出して欲望を成就するのか想像できませんが、人間界でも五感を刺激する様々な対象を作り出して欲望を成就しています。例えば、「味覚・嗅(きゅう)覚を楽しませる料理」「肉体を酔わせて楽しむお酒」「肉体を飾る化粧品・アクセサリー・服」「肉体をリラックスまたは休めるマッサージ機・お風呂・寝具」「視覚・聴覚を楽しませるアニメ・ゲーム」など周りは娯楽する対象で溢れていますね。

「魂の成長度が低いほど自由意志の自由度が制限され、高いほど開放される」というお話をしましたが、地球の中で自由度の高い日本人は、それだけ優れた対象を作り出すことができます。楽報は各々の福徳ですが、それらに翻弄されないように気を付けなければ、さらに深い無明の霧に覆われることになります。

化楽天の魂の状態は、「欲望を成就しようとする原動力。作り出した、或いは作り出された対象に耽溺(たんでき)する」です。
耽溺:一つのことに夢中になって、他を顧みないために判断力を失い、多く不健全な遊びに溺れることをいう。

例えば、ゲームはついついその世界に浸ってしまい時間を忘れて楽しんでしまいます。学業や仕事に身が入らず、頭の中は「早く家に帰ってゲームやりたいなぁ・・・」「新しいところ早く攻略しよう!」「レベル上げとお金を貯めて剣と鎧を買わなきゃ!」等となるでしょう。このようなことを続けることで「後回し」「だるい」「面倒」「まぁ、いっか」「眠い」「サボろうか・・・」「リアル世界は糞ゲー」と本業や人生の目的をおろそかに怠けてしまうことになります。またゲームに限らず、このようなことを積み重ねることで自らが迷いの生命だということに考えが及ばず、無明なまま寿命が尽きてしまう要因となります。

とはいえ、人間はロボットではありませんので、休息や娯楽は必要です。仮想世界に100時間、200時間と費やすのが悪いと言っているのではなく、魂が魔性の状態にあることを知り、上手くバランスを取らなければ危険だということです。
ゲームを例にしましたが、各々の生活で耽溺している様々な対象に当てはめてみましょう。

また、上手くバランスを取ると書きましたが、それができるのであれば無始から六道輪廻を繰り返していませんし、できていないから人間界に生まれて現在の境遇に閉じ込められています。そして様々な対象に翻弄され、また流転することは、残念ながら言うまでもありません。

欲望の対象に耽溺し続けること、或いは際限なく耽溺し続けたいと渇望することは、魂の煩悩の壁をさらに厚くし、物事を正しく見聞きできず判断や言動・行動を狂わせていきます。

 シルバーバーチの霊界メッセージ、進化の土壌としての地上生活より抜粋
やりたい放題の人生を送り、夢まぼろしの幸せを追い求めている魂は、いつかは実在を学ぶために過酷な体験(死後、低界層での生活を含む)をさせられる時がまいります。

大半の人々は、魔性から覚めることができず過酷な体験の中で実在を学ぶことになります。
なぜなら、魂の状態が六欲天の上層になるほど力は強大となり、弱い理性では太刀打ちできなくなるからです。
もう少し詳しく書きますと、善神界の四大王衆天・トウ利天の善性より、魔神界の夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天の魔性の力の方が圧倒的に強大と言うことです。
欲界より上層の色界・無色界には、他化自在天の魔性の力さえ降伏させる善神界が広がりますが、四大王衆天・トウ利天の善性を上手く顕現できない魂は、それ以上の善性の要素を顕現することは難しく、餓鬼界・畜生界・修羅界は魔性に従い、思い通りにならなければ地獄界が顕現します。

‘魔性に従い’とはどのようなことかは、自らの魂の状態に問えば分かることですが、確認のため書きます。
「なぜ、争う、或いは諂(へつら)う必要があるのだろう?」(修羅界)
「なぜ、本能の赴くままに行動してしまうのだろう?」(畜生界)
「なぜ、ケチで欲深く、嫉妬してしまうのだろう?」(餓鬼界)
「なぜ、恨み、或いは怒りは起きるのだろう?」(地獄界)

それぞれの魂の要素は「利己的な欲望を成就するため」(魔神界)に働きます。

無明の霧に包まれ、永遠に続く生命の上から物事を見れず、今の自我を本当と思い込み固着するため、世界には無秩序と混乱が広がり、死後も欲界から抜けられないのは当然の道理となります。

話を戻しますが、過酷な体験は魔性から目覚めさせ因果律の厳しさを学ぶための特効薬となります。しかし、

 シルバーバーチの霊訓、スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべより抜粋
ただ単に苦しい体験を積むばかりでは無意味です。その中から教訓を学び取らないといけません。そこで霊的摂理についての知識が大切となります。

というように、宇宙の自然法則についての正しい知識がなければ、苦しい体験の中から教訓を学び取れず、体験が終われば知らぬ間に魔性の状態へと引き込まれ、また新たな苦しみを生み出してしまいます。
そうして、己で生み出した結果に対し「どうして、このような理不尽な目に遭わなければならないのか」「どうして、このような謂れの無い苦しみを味わわなければならないのか」「どうして、どうして、どうして・・・」と自分と正しく向き合えず、無明の霧の中を彷徨うことになります。

また、苦しい体験を積み、その中から教訓を学ぶことだけが無明の霧を抜ける方法ではありません。
正見を磨き、仏の教えを正しく受け入れるための準備を整えましょう。仏の真髄を知り、楽しみ・喜び・感謝・安らぎの中で学んでいくことが賢明です。

仏の真髄による祈りは、各々の魂の成長に合わせて最善のバランスの取り方を教えてくれます。別の言い方をすれば、犯した間違いを正し、教訓を学び、より立派な行為を心がけ、二度と失敗しないようになっていく、或いは仏の法則(宇宙の自然法則)に従って生活を規制して行くようになり、法則に忠実に従うことの大切さを悟るようになるとも言えます。各々の魂で無理なく学び、仏の世界へ一歩一歩、近づいて行きます。

現在、耽溺している方も、耽溺まではいかないけれどそれなりの執着のある方も、苦難の中でそれどころで無い方も、終わり善ければ全て善しです。
霊界で己の魂が衆目にさらされる時、清く穢れのない状態になっていればよいのです。

仏の教えが説かれる日本に生まれ育ち、生活していることが何よりのみなさんの福徳であり、程度の差はありますが様々な楽報を受けられます。しかし、いつかは楽報に終わりがくることは必定であり、人間界の楽報は非常に儚いものです。
未来にもっと素晴らしい楽報を受けられるように新しい善い種をまき、みんなで自由度最大の仏の世界を目指しましょう。(*´∇`*)b

次回は、化楽天の死相についてお話しします。



天界の六欲天について
 所属界  魂の状態 
天界名 生命活動
欲界六道 天界 喜び・快楽六欲天 魔神界
他化自在天
 (たけじざいてん)
化楽天
(けらくてん)
自ら五塵を変化して楽しみを作り出す神通力を具足する。
容姿・声・背丈・力などの身量、様々な物がもたらす快楽・楽しみの勢力、富、寿命などの全てが兜率天より甚だ勝る。
兜率天
(とそつてん)
内・外二院に分かれ、内院は菩薩の浄土。外院は天の境界を楽しむ天衆が暮らす。
夜摩天
(やまてん)
夜摩天王の力は帝釈天王を十万に和合しても及ばず、 神通力による楽しみの量は千倍勝る。
天衆は、善果の報いが非常に強力なため慢心を生じやすく、著しく五欲に執着してしまうことになる。そのため諸行無常を忘れ死相が現れてから大苦悩を味わい、善果が尽きて三悪道に流転する。
善神界トウ利天
(とうりてん)
須弥山頂きの善見城天を中央に4方に各8天の城があり、32天の各城には神と天衆が住み、中央の善見城で帝釈天王が統括している。 帝釈天王 は、三十三天の神々・ 四天王を従え仏および仏の正しい法を説く者を守護する善神。
四大王衆天
(しだいおうしゅうてん)
トウ利天に住む帝釈天に仕え、仏および仏の正しい法を説く者を守護する善神。
須弥山の東西南北を順に持国天、広目天、増長天、毘沙門天が守護している。
五道人間界平和
四悪道
  修羅界闘争
三悪道畜生界愚痴
餓鬼界貪欲
地獄界怒り・恨み

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

連休(汚い話が含まれるのでお食事中の方は済ませてからにしましょう。)

人生の目的

 話は連休の前から始まります。

知り合いが、友達の帰省のためにペットの世話を頼まれたそうで、何も知らないマグナムは連休まで「あと三日♪・・・あと二日♪」とカウントしていました。
前日に、「ペットアレルギーと牧草アレルギーで世話ができないから代わりにお願いできる?」という電話があり、もちろんお楽しみの連休をペットの世話なんかで失いたくないのでお断りの方向で話を進めていたのですが・・・

     知り合い「犬を飼ってたって言ってたよね。ペット繋がりだし大丈夫だよ。んじゃ、明日!」

     マグナム「あっ、で、ブツ!・・・ツー、ツー、ツー」(´・ω・`;)エッ

・・・と断るタイミングを失いペットの世話をすることになってしまいました。

次の日、連休の始まりに合わせて移動用の小さなケージに入ったペットがやってきました。第一印象は耳ピーンではなくぺターで聞いていた情報とは違いましたが、厄介なことに巻き込まれたという気持ちとは裏腹に、表情には出しませんが「かぁいい かぁいいよー モッフモフだよ~」と心の中でつぶやきました。
餌と世話の仕方が書かれたメモを渡され「明日大きいケージ持ってくるから宜しく!」と用件だけを言ってすぐに帰ろうとしたので、ラップ口調でまちやがれバカヤローコノヤローとは言いませんでしたが、

     マグナム「友達に一つだけ伝えて欲しいことがあるんだけど」

     知り合い「なに?」

     マグナム「できる限りの世話はするけど、ペットの突然の死には責任持てないから」

     知り合い「えっ、なんでぇ?大切に扱ってね・・・」

     マグナム「もっ、もしもの話だよ・・・(*´ω`;*)」

諸行無常ですから、もしもの愛別離苦を心配したのですが上手く伝わらなかったようで、乱暴に扱うとでも思ったのかな。。かな。。(´・ω・`)・・・なぜだッ!!=≡Σ((( っ゚∀゚)っ
このことについて飼い主に承諾を取るようお願いしたあと、知り合いは物的にも霊的にも肩の荷が下りて晴れやかな顔で帰っていきましたとさ・・・。おわり←

我が家に来たばかりなので慣れてもらおうと思い、そのままの状態にしておいたのですが、少しするとプーンと鼻を突く臭いがしてきて驚いて現場に駆けつけるとオシッコでした。黄色の液体の中に白い粉を溶かしたようなオシッコでとても臭いです。

このままでは部屋に臭いがついてしまうので、すぐに掃除をしなければと思い、ケージを開けると恐る恐るへっぴり腰になりながらゆっくりと出てきました。
すぐにケージを持って風呂場で掃除を始めたのですが・・・
ケージの底板を取るとだいぶ時間の経過したウンチが新聞紙の上にたくさん転がり、新聞紙をはがすと堆積したウンチの化石がプラスチックケースにびっしりと付着していました。

大変な労力と時間をかけてやっと綺麗にしたケージにペットを戻したところで一安心しましたが、今度はペット自体の臭いも酷いことに気付き、よく観察してみるとモコモコの毛のかたまりがいくつもあり、爪も伸びています。その哀れな姿を見ると、まるで大きなドブネズミのように思えてきました。

こんな汚い状態では部屋に置いておけないので、このあとノンアルコールのウエットティッシュを大量に買い込み、ストレスを与えないように少しずつ手入れしていくことを、連休中ずっと続けることになります。途中でペット用シャンプーを手に入れブラッシングも合わせて行い、ペットとケージと部屋の掃除に、ぼくのなつやすみ・お盆・平常日を捧げましたとさ・・・。(´・ω・`)おわり←


 実際にはまだまだ色々なことがあり書き切れないですが、ペットの世話を通じて気付いたことが二つあります。

(1)「五感への同じ刺激は持続せず」
飼い主の部屋の状態が何となく想像できます。「なぜ掃除しないのか?」と思いますが、嗅いだ瞬間に鼻をつまむような酷い臭いも、長い間その中にいると鼻が慣れてしまいます。

宇宙の自然法則に反する知識に脳を占領されている方々も同じです。信者同士の中でしか通じない臭い知識は全て洗い流しましょう。臭い知識がなくなり自由になれば、二度と悪臭(習)の元である宗教に戻りたいとは思わないでしょう。

他にも様々に応用可能です。習慣・伝統的信仰・迷信などを理性に照らしてみましょう。

(2)「長年の頑固な汚れ、一度の掃除で全て落ちず」
ペットの生い立ちを聞いたところ最初の二年間は今の飼い主ではなく、貰い受けてから三年間、世話をしているとのこと。仕事との板ばさみに水と餌を与えるのが精一杯で、あまり懐かなかったことも今に至る要因のようです。

抱っこはもちろんのこと首の下・脚・お尻などの敏感な場所は心を許すまで触れられず、ストレスに気を配りながらの手入れなので非常に難航しました。

今日落ちなかった汚れや取れなかった古い毛のかたまりも、明日、明後日と続けることで少しずつ綺麗になります。ペットの心身の状態と時間が許すかぎり地道に手入れを続ければ、いつかは理想とする状態になるでしょう。しかし、生活の中で新しい汚れも増えていきます。

汚れと臭いの原因となるオシッコとウンチをどう処理するかが重要となります。オシッコについては、ウッドペレットという便利な物がありますのでトイレにまいて置けば吸収しておが屑になり臭いも抑えられ処理も楽です。しかし、ウンチについては・・・

ウンチには二種類ありφ10mm程の黒丸・乾燥・あまり臭いがしないものと、φ2mm程のキャビアのような黒丸つぶつぶの集まりで、やわらかく、おまけに臭いものです。正常な体であればお尻に直接、口をつけてそれを味わうため、飼い主は見ることも嗅ぐこともありません。しかし、こやつ背中を曲げるところまでのアクションは正常なのですが、残念なことに下に落ちてから食べ始めます。乾燥黒丸であれば汚れることはないので安心ですが、やわらかキャビアはそうはいきません。少しずつ食べている最中にむせたようにピョンピョンと跳ね回りウンチを潰してしまうこともあれば、全部食べず少し残すこともあります。
朝起きると一面にチョコチップができている時もあり、朝と夜の二回、多い時だと五回もケージの掃除をすることがありました。

後半に入りだいぶ綺麗になりましたが、綺麗にしてもすぐに汚れて、また綺麗にしてもすぐに汚れてしまうため「何度やっても無意味」という気持ちが起きてきました。しかし愛情を絶やさず「今日の汚れは、今日の内に・・・」と最後まで続けて知り合いに帰しました。飼い主は心身ともに見違えるほど立派になったペットに、きっと何かを感じてくれたでしょう。

同様のことが魂にも言えます。

魂の汚れは見えませんが、姿・言動・行動として現れます。

長年の頑固な汚れが一度の手入れで全て落ちないように、無始なる過去から積み重ねた魂の汚れも簡単には落ちません。そして毎日の生活の中で新たな汚れが増え続けています。

地上での最大の罪についてお話しましたが、宇宙の自然法則に逆らう祈りや貶める行為は、魂の庭に生ゴミを捨て、大小便を排泄するようなものです。人間を含め全生命の目的は、魂の庭に元からある一点の曇りもない鏡が見えるまで掃除することです。

掃除する方法は三つあります。

(1)「苦難の試練を経る」
 シルバーバーチは語る、再生(生まれ変わり)より抜粋
生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながら果たせなかったものをもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いのためとばかり考えてはいけません。

 シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
苦しい人生を送った人も失敗の人生を送った人も、あるいは屈辱の人生を送った人も、みんなもう一度やり直すことができるということ、言いかえれば、悔(くや)し涙を拭(ぬぐ)うチャンスが必ず与えられるということです。

人生は死後も続くのです。永遠に続くのです。その永遠の旅路の中で、人間は内在する能力、地上で発揮しえなかった才能を発揮するチャンスが与えられ、同時に又、愚かにも摂理を無視し、他人の迷惑も考えずに横柄(おうへい)に生きてきた人間には、その悪業の償いをするチャンスが与えられます。

 シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来
犯した間違いを正し、教訓を学び、より立派な行為を心がけ、二度と失敗しないようになっていくのです。そのうち、ある段階まで成長しますと、大切なのは目的の成就そのものよりも、その成就に向けて努力していく過程での体験によって、性格がどう形成されていくかであることに気づくようになります。過酷な体験の末に目からウロコが落ち、真実の価値の評価ができるようになり、最後は、物的なものにはそれなりの価値はあっても、絶対的価値のあるものではないことを悟ります。

苦難の試練は過去の失敗を消し去ることや、やり残したことを補うチャンスであり、人間界・霊界にかかわらず永遠にそれが与えられます。

苦難に負けず魂の庭の掃除を続けることで、積み重ねた汚れは必ず落ちます。
苦難の試練を経たとき、そこに至るまでの過酷な体験から込み上げる感情が魂を成長させ、苦しみに耐え抜いたことが何一つ無駄では無かった事、苦難が魂の成長に必要であったことを悟ります。

また魂の成長の程度により五感から受ける感じ方も変わります。
例えば「物事を正しく見ることができる」「話を素直に聞くことができる」「五感への少ない刺激で欲が満たされる」など様々なことを新鮮に感じて学び始めます。
感覚が変化したのではなく、受け入れる魂が成長したからであり、合わせて姿・言動・行動が変わります。

無始なる過去から現在、そして未来へと宇宙の自然法則が一瞬も休むことなく働いているように、仏の慈悲が途絶えたことは一度もありません。
しかし、いつの時代も仏の慈悲に触れることができないように邪魔する愚かな者たちがいます。この者たちは、自らも救えないのに宇宙の自然法則に逆らう不幸の知識を広めるのです。
その元凶が神父・牧師・神主・悪僧等の宗教指導者です。

環境や物事を創り出す原点は人々の魂です。
たとえば、兵器を量産する者・販売する者・使用する者が危険なのであり兵器自体は何もしません。そもそも開発する必要もないでしょう。
なぜ兵器をつくり争わなければならないのか?
全ては不幸の知識を受け入れた人々に、不幸の思想がつくられ、それを土台にした不幸の祈りから魂が盲目となり、物事を正しく見られなくなってしまったことが原因です。
不幸の知識を広める宗教指導者は、裏の死の商人と言えるでしょう。

もし何の妨げもないのであれば、自然の恵みが常にあるように、本当はいつでも仏との縁を結ぶことが可能なのです。
仏との縁の中で自らと向き合い真剣に向上を願うとき、仏の慈悲に触れ、善い神々の守護が受けられる手段があります。

人々が受けられるはずの恩恵を妨害する宗教指導者は、裏の死の商人を生業としている事、内面では人々の不幸を喜んでいる事を忘れてはなりません。人々が不幸になることは、裏の死の商人にとって弱みにつけこみ不幸の知識を高く売りつける絶好の機会なのです。

(2)「無償の奉仕」
生活の中で奉仕する機会はいくつもありますが、行動に移すことは難しいです。特に身内より他人への奉仕はさらに困難となります。また利己心や虚栄心から行動する偽善もあります。やらないよりはやった方が良いですが、無理をすればあまり良い結果とはならないでしょう。
まずは各々が宇宙の自然法則と調和し、魂の内奥の安らぎに浸ることが先です。獲得した叡智と魂の成長に合わせて、自然に見返りを求めない施しができます。・・・というより、施したくなるのです。それが仏の意思だからです。

(3)「祈り」
過去の汚れと今日の汚れを少しずつ落とす方法です。しかし、「混ぜるな危険」があるため、使用方法を間違えば大変なことになります。

掃除は難しく大変なので、なるべく汚さないことです。仏の真髄を知るまでは、因果律を土台に各々の霊格にふさわしい理性的な生活を送りましょう。

 シルバーバーチの霊訓(十一)より抜粋
過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。良いタネを蒔くように努力なさることです。


ペットの写真は、飼い主の方がブログを見つけてしまう可能性があり、ペットのプライバシー?とかも考えて載せないことにしました。

・・・見たいですか?見たいですよね。マグナムも本当はかぁいい写真を載せたいのです。

テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

お盆

祈りの原点

連休の始まりは休み明けのことなど考えないように過ごしますが、終わりが近付くにつれ残り何日とカウントが始まり無常にも最終日が来てしまいます。皆さんは夏休み、お盆休みを有意義に過ごされましたでしょうか?

マグナムは、ある出来事により息抜きする暇もなく貴重な連休が消化されてしまいました。詳しい話は後回しにしますが、その前に。

ここに集まる皆さんのことです、お盆は当然先祖供養された事と思います。

 「ん?・・・遊んでた?疲れて寝てた?何して過ごしたか忘れた?」(´・ω・`;)
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先祖代々、過去からの原因と縁の積み重ねにより現在の貴方が存在している因縁を思えば、どうでしょう。感謝の気持ちや愛情などの善意の祈りは、霊界で暮らす生命に一筋の光明を与え目覚めを促進させます。
もし貴方が霊界側の生命だとして、祈りの便りを受けたら嬉しくないですか?周りが便りを受けているときに自分だけが貰えなかったらどうですか・・・やっぱり残念に感じるとマグナムは思いますよ。(*´ω`*)
一年にたった一度の贈り物、今からでも全然遅くはないです。とても簡単なので霊界で過ごす大切な人に祈りを贈りましょう。

祈りについては前回の記事で書いたとおり、仏の正しい法に逆らう信仰では何の効果もありません。仏の真髄を知るまでは、ただ手を合わせ祈ることが原点です。全くお金は掛かりませんし、無意味な儀式も必要ありません。また祈りの思念に時間と距離はありませんのでお墓に行く必要もありません。必要なのは貴方の魂と身体だけです。

今さらですが、ブログの内容は仏の教えとシルバーバーチの霊訓を通じてお話ししています。霊訓は仏の教えと相違することなく、簡潔で分かりやすく、説得力があります。
おかげさまでとても楽ができている訳ですが、シルバーバーチに限らず、ステイントン・モーゼスやアラン・カルデックに語りかけた霊たちも時代に合わせて必要な啓示をしてきています。綿密な計画のもとに150年以上も前から人類のために着々と実行されてきた仏と善天使と人間の夢のコラボです。皆さんは、その延長線上にいる訳ですが、本日が初めての方はこの機会を逃さないようにしましょうね。(*´▽`*)b

海外では残念なことに、すでに新しい啓示がされているにもかかわらず未だに過去の古臭い啓示を後生大事に全く受け入れようとせず、自らの手で平和から程遠い世界を作り出しています。
釈迦の説いた仏の法でさえ無常に滅するのですから、主よ主よと言っている方々は死後に悔恨の念で苦しまぬよう冷静に理性を働かせましょう。

イエスとその教えを伝統宗教の擁護派が一丸となって非難し、わずかな銀貨で十字架へかけるまでに至らしめたように、いつの時代も古き宗教をくつがえす新しい啓示は簡単には受け入れられず苦難の道を歩むのです。
愚かにも嫉妬・恨み・怒りの感情を起こす哀れな者もいますので改めて書きますが、マグナムは決して押し付けるつもりはなく用意のできた方が受け入れてもらえばそれで良く、盲目でいたい者、向上心の無い者、無知な者、備えの無い者はどうぞ拒絶なされば良いでしょう。
また、無明のために己も救えない者が宗教勧誘するのはやめましょう。道連れを不幸にした責任まで取らなければなりませんよ。キリスト教に限らず、上記のことは他の一神教・新興宗教・ニセ仏教・神社信仰などにも同じことが言えます。

話を戻しましょう。
まずは、祈る方向です。

 シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来より抜粋
時として酷(きび)しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。そんな時は大霊(仏)の象徴であるところの太陽に向かって、こう述べるのです――自分は大霊(仏)の一部なのだ、不滅なのだ。永遠の存在であり、無限の可能性を宿しているのだ。そんな自分が、限りある物質界のことで挫(くじ)けるものか、と。そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。
ここで注目していただきたいのは「大霊(仏)の象徴であるところの太陽に向かって」というところです。宇宙船地球号は、太陽の正確な軌道に従い天の川銀河を約2億2500万年以上かけて一周します。無量の三千大千世界が集まり無限の宇宙が構成されていることはお話済みですが、宇宙船地球号に限らず他の生命の生活する天体にも同じように宇宙の自然法則は働いています。

「今は何周目かって?」

人間の短い寿命では宇宙船地球号は同じ場所に留まっているのではとさえ感じてしまいますが、太陽系が誕生してから現在までに天の川銀河を約20周以上していると考えられています。

また、象徴と言っても太陽に祈る訳ではありません。すでに述べましたが太陽は神々の中の一生命です。神に祈るのではなく全生命の親である仏に向かい祈ります。マグナムのお勧めは、東から太陽が昇るので、いつもより少しだけ早めに起きて東の朝日に向かいます。祈りに集中するために余裕を持つことが大切です。また歯磨き・洗顔・爪切り等の身だしなみは集中を助けます。

日出づる処の国名・国旗は伊達じゃないです。そしてそこに生まれ育ち生活する人々の福徳もまた同じです。因果律に偶然はありません。未来の日本は物的・霊的両面に渡り世界の平和の象徴となるでしょう。

次に、姿勢です。

正座または、椅子に腰掛けくつろげる状態をつくります。手を合わせ目を閉じます。目を閉じるのは更に集中を助けるためです。
ここまで準備が整いましたら、落ち着いているのを確認して一礼します。この一礼は仏に対してですが、仏性を賦与(ふよ)していただいたことへの感謝の気持ちから自然と起こる行為なので、形だけの一礼になるのであれば行う必要はありません。因果律は行為だけでなく、そこに至るまでの自由意志の状態を何一つ見落とすことなく監視しています。形だけの行為では意味がありません。
一礼が終わりましたら、各々の善意の祈りを贈りましょう。祈り終わりましたらそのまま一礼して目を開けます。(一礼については同じく気持ち次第)

短い時間ですが、きっと特別な感じがすると思いますよ。(*´ω`*)

後回しにした話は、長くなりそうなので次の記事にします。
 
※勘違いがあるといけませんので追記しますが、あくまでも祈りの原点だということを強調しておきます。仏の真髄を知るまでの仮であり、真髄による祈りを知るまでは無明の霧から抜けることは出来ません。

ブログを素直に読み生活に活かしている方は、魂のベクトルが仏へと向き始めていますので、ベクトルの向きと霊格に相応した効果が得られます。しかし、ベクトルが全く違う方向の者が同じことをしても無意味です。
まずは執着しているスジの通らぬ宗教的知識を捨てることから始めましょう。形を真似て同じように行っても仏の目は絶対に誤魔化せません。

またブログの最終段階では、仏との縁を引き寄せるために祈りは必須となります。厳しく感じられるかもしれませんが、仏に逆らう信仰を捨てない限りは致命的となることを先にお伝えしておきます。

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プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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