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お盆

祈りの原点

連休の始まりは休み明けのことなど考えないように過ごしますが、終わりが近付くにつれ残り何日とカウントが始まり無常にも最終日が来てしまいます。皆さんは夏休み、お盆休みを有意義に過ごされましたでしょうか?

マグナムは、ある出来事により息抜きする暇もなく貴重な連休が消化されてしまいました。詳しい話は後回しにしますが、その前に。

ここに集まる皆さんのことです、お盆は当然先祖供養された事と思います。

 「ん?・・・遊んでた?疲れて寝てた?何して過ごしたか忘れた?」(´・ω・`;)
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先祖代々、過去からの原因と縁の積み重ねにより現在の貴方が存在している因縁を思えば、どうでしょう。感謝の気持ちや愛情などの善意の祈りは、霊界で暮らす生命に一筋の光明を与え目覚めを促進させます。
もし貴方が霊界側の生命だとして、祈りの便りを受けたら嬉しくないですか?周りが便りを受けているときに自分だけが貰えなかったらどうですか・・・やっぱり残念に感じるとマグナムは思いますよ。(*´ω`*)
一年にたった一度の贈り物、今からでも全然遅くはないです。とても簡単なので霊界で過ごす大切な人に祈りを贈りましょう。

祈りについては前回の記事で書いたとおり、仏の正しい法に逆らう信仰では何の効果もありません。仏の真髄を知るまでは、ただ手を合わせ祈ることが原点です。全くお金は掛かりませんし、無意味な儀式も必要ありません。また祈りの思念に時間と距離はありませんのでお墓に行く必要もありません。必要なのは貴方の魂と身体だけです。

今さらですが、ブログの内容は仏の教えとシルバーバーチの霊訓を通じてお話ししています。霊訓は仏の教えと相違することなく、簡潔で分かりやすく、説得力があります。
おかげさまでとても楽ができている訳ですが、シルバーバーチに限らず、ステイントン・モーゼスやアラン・カルデックに語りかけた霊たちも時代に合わせて必要な啓示をしてきています。綿密な計画のもとに150年以上も前から人類のために着々と実行されてきた仏と善天使と人間の夢のコラボです。皆さんは、その延長線上にいる訳ですが、本日が初めての方はこの機会を逃さないようにしましょうね。(*´▽`*)b

海外では残念なことに、すでに新しい啓示がされているにもかかわらず未だに過去の古臭い啓示を後生大事に全く受け入れようとせず、自らの手で平和から程遠い世界を作り出しています。
釈迦の説いた仏の法でさえ無常に滅するのですから、主よ主よと言っている方々は死後に悔恨の念で苦しまぬよう冷静に理性を働かせましょう。

イエスとその教えを伝統宗教の擁護派が一丸となって非難し、わずかな銀貨で十字架へかけるまでに至らしめたように、いつの時代も古き宗教をくつがえす新しい啓示は簡単には受け入れられず苦難の道を歩むのです。
愚かにも嫉妬・恨み・怒りの感情を起こす哀れな者もいますので改めて書きますが、マグナムは決して押し付けるつもりはなく用意のできた方が受け入れてもらえばそれで良く、盲目でいたい者、向上心の無い者、無知な者、備えの無い者はどうぞ拒絶なされば良いでしょう。
また、無明のために己も救えない者が宗教勧誘するのはやめましょう。道連れを不幸にした責任まで取らなければなりませんよ。キリスト教に限らず、上記のことは他の一神教・新興宗教・ニセ仏教・神社信仰などにも同じことが言えます。

話を戻しましょう。
まずは、祈る方向です。

 シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来より抜粋
時として酷(きび)しい環境に閉じ込められ、それが容易に克服できないことがあります。しかし、正しい信念さえ失わなければ、そのうちきっと全障害を乗り越えることができます。そんな時は大霊(仏)の象徴であるところの太陽に向かって、こう述べるのです――自分は大霊(仏)の一部なのだ、不滅なのだ。永遠の存在であり、無限の可能性を宿しているのだ。そんな自分が、限りある物質界のことで挫(くじ)けるものか、と。そう言えるようになれば、決して挫けることはありません。
ここで注目していただきたいのは「大霊(仏)の象徴であるところの太陽に向かって」というところです。宇宙船地球号は、太陽の正確な軌道に従い天の川銀河を約2億2500万年以上かけて一周します。無量の三千大千世界が集まり無限の宇宙が構成されていることはお話済みですが、宇宙船地球号に限らず他の生命の生活する天体にも同じように宇宙の自然法則は働いています。

「今は何周目かって?」

人間の短い寿命では宇宙船地球号は同じ場所に留まっているのではとさえ感じてしまいますが、太陽系が誕生してから現在までに天の川銀河を約20周以上していると考えられています。

また、象徴と言っても太陽に祈る訳ではありません。すでに述べましたが太陽は神々の中の一生命です。神に祈るのではなく全生命の親である仏に向かい祈ります。マグナムのお勧めは、東から太陽が昇るので、いつもより少しだけ早めに起きて東の朝日に向かいます。祈りに集中するために余裕を持つことが大切です。また歯磨き・洗顔・爪切り等の身だしなみは集中を助けます。

日出づる処の国名・国旗は伊達じゃないです。そしてそこに生まれ育ち生活する人々の福徳もまた同じです。因果律に偶然はありません。未来の日本は物的・霊的両面に渡り世界の平和の象徴となるでしょう。

次に、姿勢です。

正座または、椅子に腰掛けくつろげる状態をつくります。手を合わせ目を閉じます。目を閉じるのは更に集中を助けるためです。
ここまで準備が整いましたら、落ち着いているのを確認して一礼します。この一礼は仏に対してですが、仏性を賦与(ふよ)していただいたことへの感謝の気持ちから自然と起こる行為なので、形だけの一礼になるのであれば行う必要はありません。因果律は行為だけでなく、そこに至るまでの自由意志の状態を何一つ見落とすことなく監視しています。形だけの行為では意味がありません。
一礼が終わりましたら、各々の善意の祈りを贈りましょう。祈り終わりましたらそのまま一礼して目を開けます。(一礼については同じく気持ち次第)

短い時間ですが、きっと特別な感じがすると思いますよ。(*´ω`*)

後回しにした話は、長くなりそうなので次の記事にします。
 
※勘違いがあるといけませんので追記しますが、あくまでも祈りの原点だということを強調しておきます。仏の真髄を知るまでの仮であり、真髄による祈りを知るまでは無明の霧から抜けることは出来ません。

ブログを素直に読み生活に活かしている方は、魂のベクトルが仏へと向き始めていますので、ベクトルの向きと霊格に相応した効果が得られます。しかし、ベクトルが全く違う方向の者が同じことをしても無意味です。
まずは執着しているスジの通らぬ宗教的知識を捨てることから始めましょう。形を真似て同じように行っても仏の目は絶対に誤魔化せません。

またブログの最終段階では、仏との縁を引き寄せるために祈りは必須となります。厳しく感じられるかもしれませんが、仏に逆らう信仰を捨てない限りは致命的となることを先にお伝えしておきます。
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テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

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No title

更新ありがとうございます。ちょうど祈りについて知りたかったので嬉しかったです!質問なんですが、祈りをしているとき何を考えていますか?
善意の祈りとは「あの人の病気が治りますように」とかではないですよね!?感謝の気持ちを伝えるということでしょうか?
バカな質問でスミマセン。
日本に生まれて本当に幸せです。最近、どんな小さなことにも感謝の気持ちでいっぱいでたまにあふれそうになります。蛇口をひねると水がでることとか、目が見えることとか本当に些細なことですが。

Re: No title(koronさん)

聞くと言う行為は勇気がいることです。 こうした質問は、同じ疑問を持つ多くの方々を救うのですから、バカな質問ではなく周りの幸せに繋がる立派な行為です。(*´ω`*)b

祈りで一番重要なことは、魂のベクトルの向きです。別な言い方をすれば祈る対象をどこに定めるかと言うことです。
祈る対象が宇宙の自然法則である仏でなければ、全身全霊を込めて祈ろうが絶対に効果はありません。ご承知のとおり無限の宇宙には絶対に誤ることの無い不変の法則が働いています。偶然や奇跡は絶対に起こりません。そのため宗教指導者・狂信者が筋の通らぬ教義を並べたところで全くの無意味です。また仏教では悪僧たちが仏に祈っているように見せかけていますが、水を加え更に毒を混入した牛乳を有難く飲んでいるに過ぎません。彼らは仏の法を辱め貶める、己も救えない無明の者たちです。
ブログを訪れる方々の中には、新鮮な牛乳を買い求めたのに不憫にも足元を見られ水割り毒入り牛乳を高く売りつけられた方もいるでしょう。
魂のベクトルの足並みを揃えて、マグナムはここに集まる方々の尊い信仰心はそのままで仏へとまっすぐ延びる道へと導くつもりです。
祈りとは魂の表現であり、祈る対象へと近付こうする願望です。ここに集まる方々は完全無欠・清浄無垢な仏を目指しています。凄いですね。

善意の祈りについては、各々の霊格により仏に向ける思念が変わります。
例えば霊格の高い者の祈りに、「仏の道具として全生命のお役に立てますように」という願望があるとして、霊格の低い者が心にも無い言葉を真似て願ったところで仏をごまかすことはできませんし、自らの魂さえごまかせません。霊格の高い者の願望の内奥に、自らの命を惜しまず、人のためになることを喜びと感じ、いつでもその用意が出来ている、偽りの無い気持ちを真似ることはできないのです。
「宝くじが当たりますように」「金持ちになりますように」「健康でありますように」「彼氏・彼女ができますように」「病気が治りますように」などの利己心から発した祈りは、そのままその者の霊格となります。
過去・現在・未来を見通す仏がその者の境遇など先刻承知です。祈る対象が仏に定まるまでは当然ながら願いが叶うことは無く、ましてや本人の魂の成長を妨げる願いは絶対に叶いません。
巷で宣伝されている「願いが叶った!」「奇跡が起きた!」については、邪霊集団の利己的な加護によるものと言うことは前回お話したとおりです。

各々の魂のベクトルがどこに向いているかによりますが、筋道の通らない宗教的知識にとらわれず、偽り無く仏を信じる気持ちがあれば祈りの原点において平等です。
祈りは誰にでも出来る霊的な行為なので難しく考えず、各々の素直な気持ちを表現することです。
koronさんは、自分の祈りに自信を持って大丈夫です。なぜなら、コメントの言葉に霊格が表れているからです。魂は見えませんが、自由意志による言動は隠し切れないのです。(*´ω`*)


せっかくなので追記します。

シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
(質問)“他界した人たちには、私たちから送られる思いやりや祈りが通じているのでしょうか。愛の力を霊界での仕事に使用できるものでしょうか”

(SB)「それは、両者の間に真実の愛または情のつながりがあるかどうかによって違ってきますが、大体において、切なる思いや祈り、幸せを願う気持はその霊に通じ、力になります」

抜粋すると混乱するので改めて書きますが、あくまで仏(大霊)に向かい祈る場合です。

No title

ありがとうございます(^^)/質問してよかったです。今回だいぶ理解が深まりました。正直言ってマグナムさんのHPは私にとって少し難しいのでちょっとずつ分かっていく感じがしますが結構読み応えあります。
祈りに自信を持っていいとは嬉しいです。今が人生で一番幸せなのですが、しあわせな境遇にいるから心に余裕があるためでしょうか。環境って大事ですよね。それにしてもまだまだ利己的なところも多いので日々精進です(^▽^)

Re: No title(koronさん)

諸行無常である以上、備えあれば憂いなしです。
仏の真髄を知るまでは、仏の慈悲を知らず、善い神々の加護も受けられないため、もし苦難の嵐に遭えば一溜まりもなく崩れてしまうでしょう。
宇宙の自然法則のリズムとハーモニーの中で仏と一体となるまでは、本当の安らぎは得られません。
幸せの境遇にいる方にも、苦難の境遇にいる方にも、幻の危うい幸せではなく、不安・心配が何一つ無い安らぎの中で、崩れることのない本当の幸せを味わってもらえるようマグナムも日々精進します。(*´ω`*)

承認待ちコメント

このコメントは管理者の承認待ちです

Re: 反創価学会(承認することは出来ません。)

プロフィールに書いてありますように、スピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くつもりはないです。
名前に一宗派のリンクをはって宣伝したいのでしょうか・・・そのようなことをしなくとも人々を救うことの出来ない形だけのニセ仏教など因果律に照らされ淘汰されます。
仏の真髄を知る者は、このブログにコメントはしてきません。なぜなら教えなくとも全て知っており、わざわざ読む必要もないのです。マグナムが一言も発せずとも理解し外側から見守るだけです。仏から善神たち、善神たちから天使たち、天使たちから仏性を知る者たちへと連なる階梯のコラボです。
仏との縁を望む望まないは、各々の仏性を宿す魂が決めることです。そのための仏から賜った自由意志です。

反創価学会については、現在に至るまでに十分説明し尽くしています。物的・霊的視野から洞察して分かりやすく書いてきたのですから、邪(よこしま)な目で読まない限り盲信から覚めます。正しく読めない者は、気の毒ですが因果律に照らされ想像を絶する悔恨の念に苦しむしか道はありません。

お久しぶりです

お久しぶりです。
お盆ですかぁ。私は子供と主人の実家でゆっくり過ごしました。息子は海に行けると大はしゃぎ…
お盆は毎年帰省しています。そして、子供は海に山に川にと遊び呆けてますね。子供にはお盆は遊べる!旦那は休める!と言うのが我が家のお盆の認識かもしれません(^_^;)

故人の偲び方はいろいろ有りますが、お盆は地方によっていろんな風習があって面白いと思います。
ある地方では墓地で花火を上げたり、お弁当開きをして宴会したりと…
それなりの想いがあって、そうなったのでしょうね。

8月末に、愛猫が病気で若く亡くなったのですが以前から懇意にしてるペット専用のお寺(元は人のお寺。飼い犬に息子さんが助けられ恩返しとしてペット専用のお寺になったそうです)にお願いして火葬したのですが、今は仏壇はおろか墓も無い人も多く遠くは首都圏からお願い為れたり、跡取りも居ないからペットと同じお墓に入りたいと電話が来ると言って居られました。(料金は大丈夫なのかな?と、思う位丁寧で格安です。)

主人も実家を出て首都圏で就職したので、人の事は言えないなぁと感じたり…。
ご先祖様を大切に…とはよく言いますが、自分のルーツを知る事は自分の根っ子を知る事。自分自身を知る事の一つに成るのではないかと感じる今日この頃でした。

Re: お久しぶりです(あてるさん)

お久しぶりです。
愛する猫ちゃんとの今生の別れがあったのですね。人間に比べ寿命の短い分、飼い主は老いや病などから様々なことを学び、最後は自らの死をもって大切なことを教えていきます。
ご承知のとおりペットにも人間と同じように魂があり仏に成るための性質である仏性も宿しています。また人の身に入らず畜生の身に入ったのは、魂の状態が未熟なためであることもお話しました。
ペットたちは飼い主の愛情や思いやりにより心を開き、魂の成長を遂げた分だけ霊界で置かれる境遇が変わります。しかし大半のペットは多くの獣性を残すため、次第に下降の一途をたどり元居た畜生界へと戻ることになります。これが畜生界に一度生まれてしまうと長いあいだ向上できない要因です。
また飼い主がこれ以上ないプレゼントを猫ちゃん達に贈ることができるというお話をしましたが、詳細をお話しますと、祈りにより霊界で暮らす猫ちゃんに一筋の光明を与え、進化を促し、仏への道を示してあげることができます。そのために先ずは、あてるさんが生命の親を知る必要があるというお話でしたね。(*´ω`*)

お墓についてですが、無宗教の方は自宅で遺骨を保管して仏との縁を待つことです。仏に逆らう宗教による管理は、原因の世界に住む遺族を不幸にし、結果の世界の生命もおのずと不幸にします。
もし親の遺骨を自宅に置くことが「格好悪い・怖い」などと言う者がいるなら、親が育て方を誤まったか、子の感謝の気持が欠如しているのでしょう。入る墓より心の状態を憂いたほうが宜しいです。また人生で起こる不幸について悪僧・霊能者等が「お墓に入れて供養しないためだ」とこじつけるかもしれませんが、このようなことはありません。「供養が足りない」と「お墓に入れる」は別問題です。自宅でも供養は出来ます。いずれにせよ悪僧・霊能者が何を言おうとも宇宙の自然法則である仏に逆らう信仰では無意味で誰も救えません。

もう一つお話しますが、ペット専用のお寺なんて可笑しいと思いませんか?
人間の魂もペットの魂も進化の違いだけで仏から見れば平等です。なぜペット専用にする必要があったのでしょう。冷静に考えれば・・・
不変の法則に照らせば、飼い犬に息子さんを助けられた恩返しという取って付けたような(真実だとしても)個人の理由などどうでも宜しいのです。このような理由で無明な者が仏の正しい法を貶めるのですから非常に恐ろしいことです。不憫です。
出家するに値しない者が、出家して僧侶のふりをするお話はしましたね。少しばかりの経を読み、飲み食いに心を奪われその身を長く養う者に施すことは、さらに仏の子等を不幸にする行為なのです。袈裟を身に着け、外見は賢く善良な振りをしても内面は違います。マグナムが勝手に言っているのではなく仏の教えを説いた釈迦が言っているのです。

このブログは読む方に正見を与え、諸々の事象に対して迷い・惑わされ・だまされないように書いています。
そして最終的には仏の真髄に導き仏の慈悲を知って欲しいと願っているのです。
長くなりましたが、各々が冷静に理性を働かせ実践して行くことが自らの幸せ・家族の幸せ・ペットの幸せになり、それが日本の幸せに繋がります。(*´ω`*)

No title

良く考えてみましたら褒めてもらって謙遜したつもりが「心に余裕があるから~」なんて調子に乗ったこと言ってましたね。お恥ずかしい。ヾ(_ _。)
環境は殆ど関係ないですね。幸せなのには間違いないのですが、物理的に裕福になったとかそういうわけではないのでやっぱり心の持ち方が変わったというほうが大きいです。まだまだですが勉強します。失礼いたしました(*^-^)ノ~~

Re: No title(koronさん)

心に余裕があることはとても喜ばしいことです。マグナムは「調子に乗ってぇ~」などとは僅かたりとも思っていませんよ。(*´ω`*)
心に余裕があるときは、往々にして魂の探求には興味を持たず、物的な欲望を満たすことばかりに精を出してしまいます。そして人生の苦境に立たされてから慌てふためき全く的外れな神頼みをするのです。
人間界の魂の状態は平和です。
「お花がきれいだね」「お弁当おいしいね」「小鳥のさえずりってかわいいね」「みんな笑顔で楽しそうだね、何だか嬉しい」「お父さん、お母さんありがとう」等と、本当は余裕のあるときこそ、いつ訪れるか分からない苦難に備えることが好ましいです。
koronさんは賢明ですよ。(*´∇`*)b
マグナムはイエスもシルバーバーチもステイントン・モーゼスやアラン・カルデックに語りかけた霊たちも知らない宇宙の自然法則と一つになる方法を知っています。koronさんがそれを知れば、合気道による心身鍛錬では到底到達できない和合の道、愛の道へと家族を導けます。

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Re: お久しぶりです((*´∇`*)v)

魂の成長はゆっくりとした歩みの中で得られるものなので「(`・ω・´)ハッ!これが魂の成長だ」とはすぐに分からないのです。五年、十年と理性的な生活を続けることで自分でもはっきりと分かるようになり接している環境も変わります。「周りを変えたければ自らを変えなさい」は因果律に適う言葉です。
理性的な生活をして行こうという心構えを持つだけでも立派なことです。無理せず地道に進めて行きましょう。

恩人については因果律に偶然はありませんから、自らの選んだ行動の結果には必ず意味があります。良くても悪くても正しく受け止めることです。

小犬達については、原因は必ず結果として現れるということです。行為に対しての代償をこちらで払うかあちらで払うかの違いだけです。
「どうしてこんな謂れの無い苦しみを味わわなければならないの・・・」と五感でしか判断できない人間の身では理不尽に感じて当然ですが、叡智を獲得した者は因果律を知識で知っているではなく魂で知っているために理不尽と感じることはありません。
森羅万象には最先端科学でも証明できないことを含め全てに原因があります。原因が無いのに結果だけがあるなんてことは絶対にありません。仏の真髄を知り叡智を獲得するまでは因果律を信じることです。また仏との縁の中で自分と向き合い真剣に向上を願うとき、仏の慈悲があるからこそ更なる向上心が生まれるのです。
素直に読み、正しく理解し、実践しているのですから「大変な悪業があるかな・・・」と心配しなくても大丈夫です。仏の教えを説いた釈迦でさえ最初から完全無欠・清浄無垢な仏だった訳ではなく、経典には過去の釈迦が仏を見たいと勇猛に命を惜しまず修行した姿が説かれています。修行の末に仏となった釈迦が、どんな人であろうと各々の境遇から仏になる道を示してくれました。後は歩きたい人が歩けば良いのです。(*´ω`*)b

No title

おじゃまします。
大学の夏休みは結構ありますが、なぜか無駄にせず過ごせています。

祈りについての礼儀とか、そういったものについては全く知らなかった、というか、見ないとわからないのでは、という気がします。
知らずにおこなえてるひとがいると思うと、自分も素質的なものが足りてないのかね、と思いますね。

いまさらではありますが知ったことなので、明日やってみようと思います。
気持ちが大切というなら、この時点で9割がた終了していることになるんでしょうか。
まあでも調子にのっちゃだめですよね。

Re: No title(めのうさん)

社会人の夏休みは短いですよ~、休暇で繋げてもやっぱり短いですよ・・・羨ましいです。

祈りは特別な行為ではなく毎日の生活と密接に係わる大切な要素でしたが、長い時間が経過するにしたがって忘れ去られました。その大きな要因は何の救いも無い諸宗教が蔓延り、祈る行為は無益だと知らしめた、或いは思わせたためです。

祈ることは仏から賜った平等な権利です。素質的なものより祈りを特別な行為だと思わないことです。権利を放棄すれば優れた素質も無駄になります。 また貪欲な生活から肉体の感覚ばかりにとらわれ霊的な感覚が鈍くなり特別な行為と感じてしまうこともあります。

祈る気持ちも大切ですが、一番重要なのは魂のベクトルの向きです。
祈りとは魂の表現であり、祈る対象へと近づかんとする願望です。が、どこに近づくのでしょう。ケチで貪欲な餓鬼の生命でしょうか、本能に支配され理性のない愚かな畜生の生命でしょうか、完全無欠・清浄無垢の仏の生命を知らないのにどのように近づくのでしょう。
仏の真髄を知るまでは、羅針盤の無い小船のようなものです。
お盆にあたり先祖の方々を少しでも喜ばせたいという思いから、時期尚早でしたが祈りについて書いたに過ぎず、未だ無限に広がる魂の海に漂流していることに変わりはありません。
ここを読まれている方が、苦難に遭えばやはりパニックを起こすでしょうし、苦難の中にいる方を相変わらず救えていないことが何よりの証拠です。
その上、祈る方向を正しく示していないのですから一歩間違えると一神教・ニセ仏教・新興宗教等と何も変わらず、人々を迷わせ三悪道に閉じ込める非常に恐ろしい行為なのです。
多くの人々を不幸にした責任は誰が取るのでしょう。当然マグナムですよ。(´;゚;ω;゚;`)

勘違いがあると恐ろしいので改めて書きます。

「宇宙の自然法則を土台とした正しい知識の上に築かれた祈りにのみ効果が得られます。ブログを素直に読み生活に活かしている方でなければ無駄な行為です。祈りの原点であり魂のベクトルの向きが正しく仏に定まるまでは何も知らないのです。」

以上(*´ω`*)b
プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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