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六欲天 No.5 夜摩天(やまてん)2

夜摩天の死相

前回、夜摩天に生まれる天子は勝れた威徳の光明に自惚れ、強力な楽しみ・快楽の報いに心を奪われてしまうため、自らの行く末に目を向けられず死相が現れてから大苦悩を味わうというお話をしました。死相についてはお話済みですが、みなさん覚えていますでしょうか?
・・・天界からの生まれ変わりでお話しした「天人の五つの衰え」のことです。ヽ(・∀・)ノ
え~と・・・初めて聞いたみたいな顔になっている方が多いようですぅ(*´▽`;*)でも二度は説明しません←
この天にはこの他にもいくつかの死相がありますので詳しくお話しして行きます。

 正法念処経巻第三十九より抜粋
天子の衆と諸々の天女の衆が戯れる中で、一人の天子が生前に積んだ善業が尽きようとしている。この天子の姿を見ると、病があるようで天女の衆から退いて行く。天子が蓮華の池に近づくと花は開かず、美しい羽音を奏でる蜂はその場を離れ去って行く。また戯れる天女の歌の音を聞くと不快に感じ、樹林に近づくと木に咲く全ての花が一斉に萎む。天女と戯れるために御殿に行きたいと望むが空を飛ぶこと叶わず。

「このような天子の境遇を見て、みなさんどう思いますか?哀れで気の毒のような感じも(´・ω・`;)」

「えっ?食いたいだけ食って、飲みたいだけ飲んで、好き勝手やったのだから病が出ても自業自得!」

「うわぁ・・・麻生副総理並みの発言いただきますたc(`・ω´・ c)っ≡つズバッ」

天子は自らの死が近いことを知り大苦悩を味わうことになりますが、そのような中でさらに追い討ちをかけるように細かな死相が現れてきます。

この天子は光明を出そうと望むが光明が出ず、反って身の中に入ること日が没するようである。また華鬘の美しく輝く色彩を見ても心から愛して楽しむことが出来ず、頭を華鬘で飾るも落ちてしまう。
或いは、水中にて自身の姿を見ると、天身ではなく地獄・餓鬼・畜生・人のいずれかに生まれる姿を見て恐怖する。また毘琉璃(びるり)・金・銀・水晶・或いは青い宝から成る、一切の場所において座るも揺り動き安らげない。
或いは、風に吹かれれば瞬時にして天での安逸な生活を断たれ死の恐怖に襲われる。風の感触は硬く、天の衣は重く感触は金剛(最も硬い金属)のようである。この置かれた危機的状況を悲しみ、愛する声・味・色・香りを心から楽しめない。またさらに異なる死相が現れることもあり、毘琉璃(びるり)・石等の壁の中、または鏡の中、或いは他の場所において自身の姿を見ると頭が無く地面にあるのを見る。このような相を見れば死は近くして遠からず。

これらの死相が現れ、天子の心は乱れて定まらず、火の輪をくぐるようである。また常に自らにしたがい共に生活をしてきた一切の天女たちは見捨てて他の天子の所に去って行く。まるで鳥たちが燃える樹を離れて観察するようである。

「(´;゚;ω;゚;`)うわぁ・・・金の切れ目が縁の切れ目なんて言うけど、無慈悲な美しき天女たち=≡Σ((( っ゚∀゚)っ」

この他にも無慈悲な天女たちについて、同じような意味の例えが経文に出てきます。
「多くの蜂が萎み枯れていく蓮華の花を捨てて新しく開く花におもむくようなものである。」

「のどの渇いた牛が枯れ池を捨てて走って清水におもむくようなものである。」

勝れた威徳の光明を具える天子たちを巧みに誘惑して、楽しみ、快楽をむさぼる天女たちにも残念ながら必ずそのときは訪れます。

 正法念処経巻第四十より抜粋
戯れる天衆の中に善業の力が尽きて退こうとする天女の姿を見る。天身はシワのために皮が緩んではなはだ軟らかく、頭上に赤い花があれば黄ばみ、身を動かせば頭につけた華鬘が散らばり落ちる。また風が衣服を揺らせば糸筋のない衣もまるで糸筋があるようで人の衣に触れるようである。
清らかな汗も今は濁り、空中に飛べば疲れを生じ、地を行くもまた同じである。また木の下に至り、花または果実を取ろうとすれば木の枝は上がり高くて得ることが出来ない。
天子が来て共に欲を行えば天女の容姿は醜く色気がないことを見る。また髪の感触は粗く滑らかではないため風に吹かれても柔らかになびくことはない。
死が訪れるのはこれらの相が現れてから、この天の十日である。人中の時間においては二千年を経てもなお退かず。

「このような哀れな境遇で二千年を経てもって・・・天子も若い天女たちがいいだろうし(´・ω・`;)」

人間界の人々は、このような境遇の天衆を供養により救うことができます。十個の世界で唯一の原因の世界ですから、みなさんの心からの供養は天衆の威徳の光明になり、低界層の生命の苦しみを和らげます。霊界側は、こちらで積んだ善業・悪業の報いを受ける結果の世界なので、今がどれほど重要かは何となく想像できるでしょう。

「じゃあ、いつやるか?今でしょ!」

はいっ、旬を逃した感はありますが、どうしても言ってみたかったのです。v(*´ω`*)v
・・・話を戻して、天女も自らの死が近いことを知り大苦悩を味わいますが、そのような中で善業の力はさらに弱まり新たな死相が現れてきます。

欲心が多く少しの間も留まることは出来ず、天地を巡り歩くも地面が柔軟ではなくなり地に足がついても弾力がない。一人だけ取り残されてしまい、他の天女たちに叫んで言う「あぁ...もぅ苦しい!私と一緒にここにいてよ!!」と、言葉の因縁を無くして唇だけが動いて止まらない。
初めて生まれた時は、歌舞・音声を誰からも教えられず他から学ばなくても、善業の力により自然に全てを知ることが出来た。しかし善業が尽きるために全てを忘れる。
蓮華の池、もしくは河の流れに近づけば、水中にてどこに生まれ変わるのだろうかと生まれる世界を念じて、望んだ世界に生まれるこの天身の姿を見る。
身に着けているきらびやかな装飾、または腕輪などの一切が重くなり、金・または毘琉璃(びるり)・天青珠(てんせいじゅ)から成る場所に座るも一切の宝は変化して木になる。またもと見た天地等は今見ると全てが異なる。

哀れとしか言いようが無いですが、安楽な生活は永遠には続かず死相が現れ一変してしまいます。
寺の鐘を鳴らせば、最初は勢いよく大気を震わせますが、次第に弱くなり止まります。
諸行無常の響きありですね。(*´ω`*)優れた先人が残した言葉です。しかし周りの天衆も明日は我が身なのですから少しは学んでも良さそうなものですが・・・(。-`ω-)

 正法念処経巻第五十一より抜粋
この天子、この天を退く姿を見終わり、明らかに死相を知り思い悩み悲しくなる。これについて死相の現れた者と話すことはあっても、元気な天衆に向かって話すことはない。なぜなら元気な天衆は、今までと何も変わらず五欲の楽しみを受けることが出来るのであるから、まさか自らに死相が現れ天を退くことになるとは恐ろしく信じたくないことである。また諸々の楽しみに執着して放逸するため心が迷う。そして愚かなために自ら巧みに自分自身に言い訳をしながら自らを欺くのである。そのため命が尽きようとする者、或いは放逸する天衆には当然説かず示すはずがない。そのとき天子はこのように知り終わり何も言わず黙って蓮華の池を捨て、他の場所に向かい去って行く。
天子はこの後、また諸々の天女と共に他の場所で快楽を受け天の境界を楽しむ。天を退く姿を見て大いに恐怖しても愚かなために悟らず、恐れない。

このままでは多くの天衆は寿命を待たずに天を退き苦しむことになるので、これを哀れみ諸々の仏が天に上り夜摩天王および天衆を利益(りやく)しています。また各々の仏塔もあり、いつでも仏の法に触れることができます。しかし残念ながら慢心して聞かない天衆も多いです。

仏についてはトップページから順に読むことで十分理解できていると思いますが、念のため勘違いがあるといけませんのでまとめます。
仏の世界(宇宙)は一つであり、常住であり、原因と結果の法則で動いている宇宙であり、完全な叡智あり、生命力・霊力の始源であり、全生命です。
仏の世界には諸々の仏が住んでいます。過去ブログの「宇宙」をおさらいしても宜しいですし、燃燈仏過去七仏についてのリンクを読んでも宜しいでしょう。

ずぅーとずっと昔から諸々の仏が、移り変わる時代の社会環境・人々の煩悩の程度・能力・精神力等の様々な性質に応じて仏の世界に戻れるように教えを説いてきています。我々も魂の内奥に仏と同じ性質(仏性)を宿しています。穢れて不完全な状態ですが、仏の真髄を知り清らかにすることで我々も必ず仏の世界に戻れます。

 シルバーバーチは語るより抜粋
人間はその内部に何よりも貴重な神性(仏性)という富を宿しています。大霊(仏)の一部です。地上のどこを探しても、それに匹敵する富や宝は存在しません。

大霊(仏)は無限の過去から存在し、無限の未来にも存在します。全生命が大霊(仏)であり、大霊(仏)は全生命です。

あなたがた一人ひとりが大霊(仏)であり、大霊(仏)はあなたがた一人ひとりであると言えます。

 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべより抜粋
わたしは皆さんにぜひとも、内部に潜在する可能性を改めて認識していただきたいと思います。あなた方お一人お一人が大霊(仏)なのです。大霊(仏)の無限の力が皆さんの内部に潜在しているという意味です。それを呼び覚まし表に出せば、人間であるがゆえの束縛(しがらみ)を打ち破ることができるのです。
「呼び覚まし表に出せば」って簡単に言うけど・・・どうやって!?これが出来るのであれば、苦悩する人もいなければ仏の真髄も必要ないでしょう。

次回は、六欲天の魔神界第四の天、兜率天(とそつてん)についてお話します。


 天界についてさらに興味のある方はどうぞ。

 正法念処経巻第三十九より抜粋
初めて生まれる天子には五種の相あり。
一つ、衣服なく身を光明が覆う。周りの天衆に衣があるのを見て自らに無いのを知り「裸を見ないでくれ」と言う。
二つ、物を見てとても珍しく不思議に思う。園林等でまだ一度も見たことが無いものを見ればあまねく見る。
三つ、天女に自信のない表情や物怖じする姿を見られると恥ずかしくなり、いまだ心に不安を生じる内はあえて正しく見ようとしない。
四つ、天衆を見て近づくとも、心に不安を生じて意思は定まらず。
五つ、空を昇ろうと欲して心に怖れを生じる。たとえ飛んでも高くなく、ゆっくり落ち着いて速くなく、去るも遠くなく、地に近いところで遊び、或いは城の壁のそば、或いは城にしがみつく。
初めて生まれた天子はつぶさにこの相あり。

何となく想像するだけでも笑えるし可愛いですね。
次は性の交わりについてです。
この天地の性の交わりは人のように行うのと異ならず。四天王の欲を行うときは、人間の男女の二身が互いに交わり合い、相触れて迫るがごときも不浄になることはない。
三十三天は、天子と天女が抱き合うとも互いの根は触れない。
夜摩天は、語り笑えば成就する。
兜率天は、相視て成就する。
化楽天は、語り説いた声を聞き香りを聞けば成就する。また遠いところの者は、香りを聞き言葉の声を聞けば欲の極みを不足なく十分に成就する。
他化自在天の天衆は、化楽天と一法も異ならない。一人の天子は一切の天女に愛念ぜられて、一切の天女をこの上なくうやまい大切にしたいと思う心を生じる。心が疲れることは無く、また病のわずらいも無い。肉や骨、虫、汗等から一切離れる。天子と天女の中には増上の力があり和合して相応する。この一切のときに力は常に壊れず、勢力・光明の全てが不足なく十分に具わる。この因縁のために、ただ一人の天子が多くの天女と共に無量種の欲を極めて成就し、互いに愛して楽しみ常に欲事を行う。

「ん?欲天を上るほど何かつまらなそうな感じ?・・・もっと肉欲的なのがいいってこと?(*´д`;*)」

「そうかぁ~、みなさんは言葉責め・淫語プレイだけじゃ物足りないということですね←」

「ん~確かにふわふわしてる感はあるので、実感薄そうですね。実際はどうなのか霊に聞いてみましょう。」

 シルバーバーチは語るより抜粋
――この肉体を捨ててそちらへ行っても、ちゃんと固くて実感があるのでしょうか。

地上より遙かに実感があり、しっかりしています。本当は地上の方が実感がないのです。霊界が実在の世界で、地上界はその影なのです。こちらへ来るまでは本当の実体感は味わっておられません。

――と言うことは、地上の環境が五感にとって自然に感じられるように、死後の世界も霊魂には自然に感じられるということですか。

だから言っているでしょう、地上よりも実感がある、と。こちらの方が実在なのですから。あなた方はいわば囚人のようなものです。肉体という牢に入れられ、物質という壁で仕切られ、小さな鉄格子の窓から外を覗いているだけです。地上では、本当の自分のほんの一部分しか意識していないのです。

本来の生活は霊界に戻ってから始まります。霊界での境遇を決める人間界での生活がいかに貴重か何となく想像できたでしょ。「じゃあ、いつやるか?今でしょ!(*´ω`;*)V」←しつこい

最後までお疲れ様でした。(*´▽`*)

画像元:Source : Hover Animals
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テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

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No title

おじゃまします。

個人的な話になりますが、一週間くらいの間ずっと風邪ひいてました。
治りが悪かったのも調子に乗りすぎていたからでしょうか。
今日一日寝てたら治ったようです。
こういうときってテンション下がりますよね。病は気からというやつでしょうか。
死相もこんな感じ(強)とイメージしますが、人の病気とは違って治らないんですよね。恐ろしい。
風邪を引く原因は、「あまり寝なかった」とかでしょうけど、自惚れやら何やらの罪は重いということでしょうかね。

人間からすれば、天界生まれは相当よくできたものといえる気がしますが、ランクダウンなわけだから、やっぱり何かしら悪いことがあって来たということになるんですかね。
つまり逆に考えると、上に行くには想像を絶するくらいすぐれたひとじゃないといけないということなんでしょうか。
「今でしょ」なのはわかるんですが、ちゃんと結果になるか(積めているか)心配ですね。

3日くらい前に、親に焼き肉屋に連れて行かれたんですが、「肉を食べなければいけない境遇」も、なにかが招いた結果だったりするんですよね。
「食べられる肉として育てられる豚(等)」も、結果なのだから、食べさせられて食べるということには仕方のないこと、という考え方は都合が良すぎますかね。やっぱり。
今度行かされるようなことがあったら、頑張ってサラダで粘ってみます。そっちの方が好きだし。

上の方のひとたちは、「そういう場面」でもベタベタしないんですね。
仲良く話す、目が合う、声と匂いで…とは、すごく微笑ましい光景であるような。
確かに好きなひとと仲良く話せたりしたら、それだけで幸福感が半端ないでしょうね。
ベタベタするよりそっちの方がいいかも。(したことないけど)


なんか、自分の日記みたいなことも好きかって書いてしまって悪いですね。長々と。
最近はなんか割と分かってきたのか(慢心)、更新が楽しみです。
月一くらいなんでしょうか。もっと増やしてくれると喜びます。

Re: No title(めのうさん)

風邪が流行っているようですね。ハメを外して遊び過ぎた結果です。(`・ω・´)←おいおい

屠殺される動物は、過去にそのようになる所業がありますので仕方がないと考えて良いです。ただ人間の努力で減らすことは可能なので考える必要はあります。また次回はそちら側になる可能性もありますので注意が必要です。(´;゚;ω;゚;`)うわぁ

「今でしょ」は、「少しだけ各々で考えてみてはどうでしょう。」のようなニュアンスで受け留めてもらえれば十分で、ネタで言ってみたかっただけです。(*´▽`*)b
書いている内容を深く受け留められるのは煩悩が少なく優秀だからこそで、今はただ生きているのではないのだから因果律を土台に生活して行こうと思えるだけで素晴らしいことです。無理せず普段通りの生活を送りましょう。善業は仏の真髄を知ってから幾らでも積めます。霊界での寿命をどんどん延ばし六欲天などあっという間に越えて高次元の天界が見えてきます。目指すは永遠に続く仏の世界です。心配する必要はありません。

恐ろしいのは仏の教えを聞かず都合の良いように保身する者です。自ら巧みに自分自身に言い訳をしながら自らを騙し、おまけにネット上に嘘まで書き込み周りの者を巻き込みます。愚かなために低界層での寿命をどんどん延ばしていることに気付きません。この計り知れない悪業に比べれば、肉食の悪業など塵のようなものです。

例えばスカイダイビングの落下中にゴーグルの位置を直したり高度計を確認するより、パラシュートを開くことが先決なように、ブログの中であえて肉食について触れないのは、各々の内部に潜在する仏の無限の力を呼び覚まし表に出す方法を知っているからです。肉食について考えるより何よりも大事なことがあります。
家族で焼肉を食べても大丈夫ですし、食事も普段通りありがたくいただきましょう。(*´ω`*)

仲良く話す、目が合う、声と匂いかぁ・・・恋愛しているときが最も幸福感に満たされているのは心で性の交わりをしているのですね、なるほどぉ~奥の深い快楽のむさぼり方だな(。-`ω-)
肉体の交わりが始まると長続きしないのはそのためかぁ・・・ぼっちだけどちょっと探しに行ってくる=≡Σ((( っ゚∀゚)っ

それと書くことはほとんど最後まで決まっていて幾らでも更新できるのですが、更新するタイミングも決まっているのです。このようなことを書くと変に思いますが本当なのです。(*´ω`;*)
プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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