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六欲天 No.10 種まきのたとえ

仏の国の奥義:良い地にまかれた種は良い実を結ぶ

 釈迦、イエスの教える‘例え’についてお話しします。

イエスの教えから‘種まきの例え’を読んでいただき、説明を加えながら最後にまとめます。
イエスはまた湖のほとりで教え始められた。おびただしい数の群衆がみもとに集まった。それでイエスは湖の上の舟に乗り、そこに腰をおろされ、群衆はみな岸べの陸地にいた。イエスはたとえによって多くのことを教えられた。その教えの中でこう言われた。

「よく聞きなさい。種をまく人が種まきに出かけた。まいているとき、種が道ばたに落ちた。すると、鳥が来て食べてしまった。また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。しかし日が昇ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。また、別の種がいばらの中に落ちた。ところが、いばらが伸びて、それをふさいでしまったので、実を結ばなかった。また、別の種が良い地に落ちた。すると芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になった。」

そしてイエスは言われた。

「聞く耳のある者は聞きなさい。」

さて、イエスだけになったとき、いつもつき従っている者たちが、十二人の弟子とともに、これらのたとえのことを尋ねた。そこで、イエスは言われた。

「あなたがたには、神の国の奥義が知らされるが、ほかの人々には、すべてがたとえ(ただの種まきの話)に聞こえるのです。それは、

『彼らは確かに見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることのないため。』

です。」(マルコによる福音書4:1~12)
文章から様々な条件下にまかれた種が、どのような結果をもたらしたのか情景が浮かびます。
これは基本的な読解力があれば文章の表面上の意味を理解できるからに他なりませんが、聞く耳のある者は種まきの情景だけでなく、そこにイエスが本当に伝えたい隠された意図を読み取ることができます。
しかし人類の大半の人々は聞く耳がないので、残念ながらただの種まきの話にしか聞こえません。

『悔い改めて赦されることのないため』とは、言い換えれば『無明の霧の中にいることを認めないため』となります。このような人々は仏の教えを素直に受け入れる備えができるまでは、見るには見るがわからず、聞くには聞くが悟ることはありません。

このあとイエスはつき従う者たちと十二人の弟子に、例えに隠された神の国の奥義を教えます。
宇宙の自然法則を垣間みるイエスの言う神の国とは、もちろん仏の国(仏界)のことです。ただしお断りしておきますが、イエスの教えの意図を読み取れないキリスト教徒の概念がつくりだす神の国は存在しません。なぜなら、

 シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
イエスは“神”ではありません。全生命を創造し人類に神性(仏性)を賦与(ふよ)した、宇宙の大霊(仏)そのものではありません。

 シルバーバーチは語るより抜粋
イエスを祈願の対象とするのは間違いです。祈願は大霊(仏)に捧げるべきであって、大霊(仏)の使者に捧げるべきではありません。
聖書には致命的な欠陥があることは既に述べたとおりであり、そもそも仏(神)ではないイエスを仏(神)の座に祭り上げたことが最大の過ちです。
イエスの時代に広まる宗教思想(ユダヤ教)の間違いを正し、人々の聞く耳の状態に合わせて少しだけ補足したに過ぎません。イエスは宇宙の自然法則の全てを知らなかったこと、全てを説いていないことを理解する必要があります。

聖書と教義をパズルに例えれば、もともと足りないピースと様々に絵柄の異なる関係のないピースを無理やり組み合わせ、何を表現しているのかも分からない未完成の絵柄を後生大事にしているようなものです。
それに対して経典は、全てのパズルのピースが揃い絵柄が統一されています。正しく組み合わせることができれば完成したパズルの絵が仏の国へと向かう一本の道を示します。

 それでは次に進みましょう。
そして彼らにこう言われた。

「このたとえ(ただの種まきの話)がわからないのですか。そんなことで、いったいどうしてたとえ(隠された意図)の理解ができましょう。種まく人は、みことばをまくのです。

A:種が道ばたに落ち鳥が来て食べてしまったとは、
『みことばを聞くと、すぐにサタンが来て、まかれたみことばを持ち去ってしまう人々のことです。』

B:種が土の薄い岩地に落ち土が深くなかったのですぐに芽を出すが、日が昇ると、焼けて、根がないために枯れてしまったとは、
『みことばを聞くと、すぐに喜んで受けるが、根を張らないで、ただしばらく続くだけです。それで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人々のことです。』

C:種がいばらの中に落ちいばらが伸びて、それをふさいでしまったので実を結ばなかったとは、
『みことばを聞いてはいるが、世の心づかいや、富の惑わし、その他いろいろな欲望がはいり込んで、みことばをふさぐので、実を結ばない人々のことです。』

D:種が良い地に落ち、芽ばえ、育って、実を結び、三十倍、六十倍、百倍になったとは、
『みことばを素直に聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ人々のことです。』」
                                            (マルコによる福音書4:13~20)
みことばとは、宇宙の自然法則を垣間みるイエスが仏の国に人々を導くために話す教えです。

・Aグループの人々とは?
一神教・新興宗教・神社・ニセ仏教等を信仰している、または思想の奴隷となっている人々です。人類の大半はこのグループに入り、一言でいえば‘邪見’の人々となります。

魂の状態の各要素については時間をかけて述べてきましたが‘魔性に従い’という言葉を覚えていますでしょうか。
修羅~地獄界の魂の要素は、利己的な欲望を成就しようとする魔神界の魂の要素に従うというお話です。
サタンとは魔王のことで、欲界の頂点に君臨し、無明の生命の中では最強の力を有します。ただし因果律があるので仏を超えることはなく、魔王も宇宙の自然法則の中で生命活動をする仏の生命の一部です。
ここで心に留めていただきたいのは「魔王には、欲界の生命に六道輪廻を繰り返させようとする明確な意思がある。」ことです。なぜかは六欲天の魔神界第六の天、他化自在天(たけじざいてん)で詳しくお話しします。

宇宙の自然法則に逆らう信仰をしている人々に「あなたの信仰は間違っています。」と伝えると、自分の宗教思想・行為を批判されたと感じます。
これは伝えた言葉の正否には関係なく自分の思想・行為を肯定したいという欲望が生じるからです。そして、この欲望を成就するために相手を言いくるめよう・言い負かそうと保身することになります。
自尊心の高い人ほど、この傾向が強く、魂の要素としては修羅界が働きます。このような人々は魂の庭にお腹をすかせたハトの群れを飼っているようなもので、種をまいてもすぐに残らず食べられてしまいます。

種より豆の方が好みかもしれませんが、種を食べたハトはフンをまき散らして魂の庭を汚してしまいます。
フンをまき散らすとは、矛盾したこと言い、陰口を言い、真実にそむいて言葉を巧みに飾りながら偽ることをして欲望を満たすことです。魂の要素は畜生界です。
フンをまき散らすのは自由ですが、いつかは大掃除(大苦難)をしなければならないときがまいります。そして、そのような愚かな行為をした当の本人は残念ながら気づいていません。魂の庭を汚すとはこのことです。

トップページの中で魂の目覚めに不向きの方として、宗教脳・傲慢・頑固・利己的・年寄りをあげましたが、なぜ不向きなのかと言えば、みことばを聞いても理性を活かさず自己中心の利己的な欲望の成就を優先してしまうからです。
このときの魂の要素の変化は、善神界の善性が負け、あるいは葛藤もせず魔王の働きかけに修羅~地獄界が応じている状態となります。そのため、みことばを素直に聞いて受け入れることができません。
これが『すぐにサタンが来て、まかれたみことばを持ち去ってしまう』の意味です。

・Bグループの人々とは?
『みことばのために困難や迫害が起こる』とありますが、Aグループで述べたように‘みことばのため’だけとは限らず、相手が思想・行為を批判されたと感じれば争いが起きます。
一神教の思想戦争が良い例ですが、互いに自分の思想・行為に正義があると信じています。しかし、どちらにも正義はありません。
もともと何の根拠もない基盤の上に神学体系を築き、その教義をもとに未熟な思想が作られたのですから、それを中心に物事を考え行動すること自体がそもそもの間違いです。
人間は宇宙の自然法則の恩恵を受けて生きているのですから法則を中心に物事を考え行動すれば善いのです。

読者の中には、環境からのマインドコントロールに覚めつつある方々もおりますので困難や迫害に遭わないためにはどうしたら良いのか記載します。

(1) 相手の自由意思を尊重してあげることです。
(2) 周りに大切な人がいないのであれば、知り得たことを心に留めて公言しないことです。死後の行き先は魂の進化の程度で決まります。「周りがどうか?」ではなく「自分はどうあるべきか?」が重要です。
(3) 周りに大切な人がいる場合は、エサをまいて相手の状態を観察しましょう。
例えば、神社への初詣の参拝や七五三等の宗教行事に参加しなければならなくなった場合を想定します。

あなた「神道・神社は明治政府公認の新興宗教だけど、自分たちには関係ないことだと思わない?」

相 手 「えっ、なんで?日本の伝統文化じゃん。宗教だけど風習として考えればいいんじゃないかな。」

あなた「でも伝統文化を隠れみのにした宗教ビジネスだよ。宗教行為は無意味で時間とお金の無駄だと思うけど。」

相 手 「どうしたの?みんなもやってることだし・・・願えば神様からラッキーでご利益もらえるかもしれないじゃん、別に深く考えなくていいんじゃないの。宝くじも買わなきゃ当たらないでしょ。」

あなた「ふぅ~ん、ラッキーかぁ・・・ただ、自分は無駄な宗教行事に参加する必要はないかと思っただけ。」

相 手 「無駄、無駄ってなんか気分悪いなぁ。日本特有の文化なんだし受け継がれる日本の心をもう少し大切にしたら!」

あなた「そうだね。(*´ω`*)ニッコリ」←ここで話をやめることが重要です。

相手は公園のハトポッポ状態だと分かりましたので、エサをまくのはやめて相手の自由意思を尊重してあげましょう。
間違っても(*´ω`*)ニッコリではなく言い負かそうと「はぁ?ほんと物分り悪いなぁ、だから日本特有の文化の仮面をかぶった宗教ビジネスだって言ってんじゃん!!」←これはダメです。

「争いは、同じレベルの者同士でしか発生しない!」ですから、わざわざ同じ土俵に上がる必要はありません。

ただし相手のことを大切に思うのであれば、これで諦めるのではなく正しく受け入れる備えができるように普段から相手の自由意思の尊重を第一に善く諭すことです。
宗教行事に参加しないことが一番ですが、どうしても周りに合わせる必要があるときは仕方がありません。読むワクチンの効果もありますし、周りに溶け込むフリをするだけなので魂に目隠しをされることは無いでしょう。
(4) 実を結ぶために、ときには根を伸ばし土の深いところを探すことも必要です。

・Cグループの人々とは?
「いばらが伸びて」とは、自己中心の利己的な欲望を成就することで増える煩悩のことです。
いばらを育てるのは自由ですが、いつかは魂の庭のいばらをむしらなければならないときがまいります。根を深く張るいばらの群れは簡単には抜けず、その中に何度も手を入れむしろうとするとき、鋭いトゲが引っ掛かり突き刺さり皮膚が裂けてしまいます。また傷口が化膿することもありなかなか治らず、跡が残る場合もあるでしょう。

いばらの中に何度も手を入れむしるとは、苦難に遭い心身に苦悩・苦痛を受けることです。
しかし苦難が終わればいつの間にか乗り越えた辛さは思い出になり、また目先の楽しみに心を奪われ新たないばらを育ててしまいます。(ここでも長い時間をかけて下層界に働きかける魔王の姿があります。)
夢まぼろしの幸せを追い求めていばら(煩悩)を育てることが、自らを苦しめる行為だと学ぶまではいばらむしり(苦難)を繰り返すしかありません。

『みことばをふさぐので、実を結ばない』とありますが、ここはとても重要です。
言い換えれば『最後まで諦めず素直に受け入れる備えさえあれば実を結ぶ』ということです。
もちろん「因果律を土台に各々の霊格にふさわしい理性的な生活を送る」「苦難と正しく向き合う」も大切なことでしたね。

いばらむしりは大変なので、なるべく増やさず育てないことです。

 シルバーバーチの霊訓(十一)より抜粋
過ぎ去ったことは忘れることです。すでに後ろのものとなりました。前にあるものが大切です。言うまでもなく、今あなたが味わっている結果を生み出した原因は過去にあります。しかし同時にあなたは、これから結果を生み出す原因を今作りつつあるのです。良いタネを蒔くように努力なさることです。
良いタネとは善行ばかりとは限りません。自己中心の利己的な欲望を抑える努力をなさることも、未来の自分のためになります。

・Dグループの人々とは?
『みことばを素直に聞いて受け入れ』とありますが、素直に聞いて受け入れるためには魂の庭が良い地でなければなりません。
最初から良い地の人々はいるのでしょうか?
人類の大半はAグループで、B・Cグループが皆さんですから、いないです。
それでは実を結ぶためには、鳥を追い払い、岩地を砕いて運びだし、いばらをむしり、土地を耕して良い地を造るしかありません。
良い地を造るとは、正しく聞ける耳を育てることです。このブログでは‘正見を磨く’と表現してきました。

魂の庭の鳥を追い払う方法、岩地を砕いて運びだす方法、いばらをむしる方法、土地を耕す方法、フェンスを作る方法を学ぶことで、各々が少しずつ良い地を増やしていくことができます。また因果律により強制的に良い地を造る機会を与えられる場合もあります。
フェンスが必要な理由は、増やした良い地に石を投げ込む人々がいるからです。石を投げ込む人々とは、Aグループのハトのフンをまき散らして魂の庭を汚している人々のことです。
フェンスはばらまかれる悪い知識・矛盾・嘘などから、新しく作られた仏(宇宙の自然法則)の思想を守ります。

この例えの核心は以下の二点です。
『第一に、人々の聞く耳を正しく育てること。』
『第二に、正しく聞ける耳を育てるには、みことばを素直に聞いて受け入れることが重要であること。』

仏の国に人々を導くイエスの立場から語れば、さらに難しく深い奥義を理解させるには、人々の聞く耳を育てることは必須なのです。

美しい花を咲かせる種だと分かっていても、美味しい実をつける種だと分かっていても、良い地がなければ育てて観賞することも食すこともできず残念ながら諦めなければなりません。しかし大変な思いをして良い地を造ってみると、今度は様々な良い実を結ぶ種をまきたくなるものです。

魂の庭に良い地を造るコツが分かれば大変なガーデニング作業も次第に楽しくなります。
自分の、自分による、自分のための庭なので、美しい花々で飾ることも実りのある種をまいておき刈り取りを楽しみに待つことも夢ではありません。せっかく貴重な時間を割いて読んでいるのですから、飾る花もなく刈り取る良い実もないような惨めなことにならぬようにしたいものです。

イエスのみことばは、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶですが、仏の真髄は無量の実を結びます。
天に無量の宝を蓄えられるよう正見を磨きましょう。v(*´▽`*)vマジ刈り取りきれねぇ~

イエスは例えについての説明を終えると、次の言葉を残します。
また言われた。「あかりを持って来るのは枡(ます)の下や寝台の下に置くためでしょうか。燭台の上に置くためではありませんか。隠れているのは、必ず現われるためであり、おおい隠されているのは、明らかにされるためです。聞く耳のある者は聞きなさい。」(マルコによる福音書4:21~23)

釈迦もイエスも例えを説きますが、人々の聞く耳の成長に合わせて仏の国の奥義を段階的に余すところなく説いたのが仏の教えです。
釈迦は諸々の仏の一人であり、イエスは仏に近づかんとする仏の子等の一人です。例えれば、先生と生徒のようなものですから同列に語ることは出来ません。

 シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
イエスをあなたと同じ存在とお考えになることです。はるかに進化はしていても、決して手の届かない無縁の存在ではありません。

イエスは進化せる高級霊の一人です。地上人類の手の届かないほど誇張され神格化された、縁遠い存在ではありません。

仏は全ての仏の子等が仏の国へ無事に戻ってくることを願っていますから、最初から奥義の意図を隠すつもりなど毛頭ありません。
ただ、無明を認めず邪見で物事を見るために、仏の伝えたいことがおおい隠されてしまうのです。

最後に、

 シルバーバーチは語る、霊界側から見た戦争より抜粋
真理(仏の法則)の導くところならどこへでもついて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされてきているものであっても、潔く拒絶する用意が出来ていなければなりません。

本日は、ボリュームがありましたね。大変お疲れ様でした。ヾ(*´∀`*)ノ

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六欲天 No.9 神道・神社信仰2

羽のない鳥は致命的な欠陥

 化楽天の続きですが、まずは「神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・」についてお話しします。

スレッドを立てた神主からは「神社界の悪い体質を世間の目にさらすことで健全化を図りたい」という意図が読み取れます。
それに対して同業者・熱心な信仰者にとっては不都合なので「お前はやってはいけないことをしたんだ、わかるか?一番の背徳行為は今現在のお前だ」「このたわけがまだわからないのか?世の中には暗黙の了解で見てみぬふりしなきゃならん裏側ってのがあるんだよ」などの批判を加え不安を煽ろうとするコメントもありました。
内部告発は勇気のいる行動ですが、ネット上でなければ嫌がらせや暴行、業界追放、不当な社会的制裁、場合によっては命を狙われる危険性もあります。
自分が崇拝している信仰対象が盲目的に正しいと思い込み、不都合な物事を隠そう、逆らう者を排除しようとする狂信者は恐ろしく厄介です。

このブログは宗教界が相手なので・・・(´;゚;ω;゚;`)うわぁ
宗教界の方々はブログの内容に怒りの念を起こすかもしれませんが、矛先は生命の源である仏(宇宙の自然法則)や釈迦・イエス・シルバーバーチに向けることです。
マグナムはどのような原因を積めば、どのような結果になるのか知っているので「各々の幸せのため、周りの幸せのためにどうでしょう?」と仏の意思に従いお勧めしているだけです。
全ての方々の自由意思を尊重していますから読む読まないも自由、行動するしないも自由です。
親が子に「勉強しなさい!」と言っても、本人にやる気が無ければどうしようもないように、社会に出てから「あの時いうことを聞いておけば・・・」と後悔しても、責任は本人が取るのですからそれも良いでしょう。
ただし、宗教の間違いを正すための体験は、いつどこでどのような事象で学ぶのかは仏(宇宙の自然法則)のみが知るところなので、その時が来たら「どうして、このような理不尽な目に・・・」なんて無責任なことを言わず正しく自分と向き合うことです。 因果律に偶然はありません。

それでは話を戻して。
様々なコメントの中に、皆さんと共通する意見はありましたか?或いは、一つも共通する意見が無かった方もいるかもしれませんね。
自らの信仰する宗教(行動)を正当化し、擁護するための常套句がコメントの中にありましたが、皆さんは気付きましたでしょうか?

「確かに神主には悪いやつもいる!でも立派な神主は数えきれないくらい大勢いるのに、この事で神主全体批判されるのは悲しい」

「尊敬できる神職さんもたくさん居る」

「真剣に参拝者一人一人と丁寧に向き合う零細神社の神主もたくさん居る。」

このようなことを言われたら、皆さんはどのように考えますか?
神社信仰をしている方であれば自分の行動を正当化するコメントは好都合なので安易に同調しやすく、大半の方々は相変わらず盲目的に賽銭投げて・お守り買って・宗教行事等に参加してしまうのではないでしょうか。

それでは正見を活かして安易に同調しないためにはどうしたら良いのでしょう?
立派・尊敬・真剣と言われても、そもそも定性的(数値では表せない)な人間性を評価することは難しく、本人以外には本当の本性は分かりません。
また、神主の衣装をまとっていても猫がねずみの様子をうかがうように、表と裏の顔が違うことは御承知のとおりです。しかし、理想的な神主が絶対に居ないとは言い切れないのも確かです。
さすがに‘数えきれないくらい大勢’、‘たくさん’は誇張しすぎなので、「そんなに知っているなら神社・神主名を合わせて教えろください。」と言えば沈黙するかもしれませんね。
実は、このような常套句に惑わされないためには、別なところに着目する必要があります。

「すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない。」(マタイによる福音書、7:17,18)
イエスの教えの一節を‘良い木、悪い木の例え’と名づけますが、スレッドの内容を分かりやすく置き換えます。
悪い実とは神社界の悪い体質のことであり、悪い実のなる原因は木が悪いからです。悪い木とは神社信仰のことです。
神社信仰という悪い木が原因となり、その結果、悪い体質の実が結ばれたということになります。

次のコメントはどうでしょう。

「腐ってんのは神道じゃない。そこに居る人間。」

「要は宗教・信仰形態が腐ってるんじゃなくて、法人として腐ってる部分がどうやら少なくない、ってことじゃね。我々が神道から離れたら、本当に神道がダメになってしまう」

また置き換えます。
「腐ってんのは神道という良い木じゃない。そこに居る人間という悪い実。」

「要は宗教・信仰形態という良い木が腐ってるんじゃなくて、法人という悪い実の腐ってる部分がどうやら少なくない、・・・」

どうでしょう?これらの文は良い木から悪い実がなっていますね。
宇宙の自然法則は正直ですから良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできないのです。
ここまでをまとめると、神社信仰をすることが原因となり、人間性が腐り始め、その結果、悪い体質(環境)が作られたということになります。

さらに根本原因を明瞭化するために着眼点を掘り下げて、悪い木を神社界、悪い実を神社信仰に置き換えます。
悪い実である神社信仰を正当化し、悪い木である神社界に栄養を与え続けることは、信仰者に罪悪感がなくとも、罪をこしらえることになりその責任は必ず取らなければなりません。
‘栄養を与え’とは、神社参拝・お守り・おみくじ・絵馬・神札・破魔矢等や宗教行事に参加し、神社界を支援し資金を提供することです。

なぜ罪をこしらえることになるのか?理由は以下の二点となります。

 シルバーバーチは語るより抜粋
牧師「地上での最大の罪は何でしょうか」

SB「罪にもいろいろあります。が、最大の罪は神(仏)への反逆でしょう」

ここでメンバーの一人が「その点を具体的に述べてあげてください」と言うと

「神(仏)の存在を知りつつもなお、それを無視した生き方をしている人々、そういう人々が犯す罪がいちばん大きいでしょう」とシルバーバーチが付け加える。
廃仏毀釈をし、いくつもの戦争で仏の子等の命を奪っただけでなく、現在も未熟な魂を霊界へと送り込み続ける神社界は間違いなく仏への反逆となります。
神社信仰の祈りを宇宙の自然法則に例えれば、降ってくる雨を雲に戻そうとする行為、或いは地球の自転を逆転させて太陽が西から昇るようにするような行為です。人間界の生命は自然(法則)の恩恵を受けて生きていることを忘れてはなりません。

 シルバーバーチの霊訓―地上人類への最高の福音より抜粋
筋の通らぬ勝手な訓えを説く宗教家は、動機がどうあろうと、人類とその文明に大きな障害を築いていくことになり、罪を犯していることになるのです。
悪い木に栄養を与えることは筋の通らぬ勝手な訓えを説く神社界を栄え存続させることになり、現在の人々から未来の人々へ不幸のプレゼントをすることになるのです。
また、ネットや会話などで神社界を存続させるために不都合な物事を隠し、逆らう者を排除し、利己的に正当化することもまた同じであり、仏の教えに対しての妄語(嘘)の罪は非常に重いです。

最後にまとめますと、神主の良し悪しで判断するのではなく、神社界の悪い体質という結果に対する根本原因は何か?に着目します。根本原因は、人々の思想に悪い影響を与え、正常な魂の成長を妨げる’神社界(教義・迷信)’となります。
根本原因の神社界がなければ信仰もなく、信仰がなければ人間性が腐ることもなく、人間性が腐らないのですから悪い体質(環境)が作られることもなくなります。

神社信仰に焦点を絞りましたが、他の一神教・新興宗教・ニセ仏教にも同様のことが言えます。

 イエスの教えを使用したことでキリスト教の教義を全肯定していると、この記事だけを閲覧した方々が勘違いするといけませんので混乱しないように記載します。
福音書の一節を使用した理由は、原因と結果についての正しい筋道が説かれているからです。
ただし、聖書全体では宇宙の自然法則のかなめである因果律(因果応報と輪廻)が説かれておらず、必然的に業(ごう)もありません。これは鳥に羽が無いようなもので致命的な欠陥となります。
また、贖罪説(イエスを信じて洗礼を受ければ全ての罪をイエスが背負ってくれると言う都合の良い考え)という洗礼を受ければいきなり善人になってしまうようなイエスの教えをこれ以上なく侮辱する不公平な法則もありません。

 シルバーバーチの霊訓―霊的新時代の到来より抜粋
あなたの行為の責任を他人の肩に背負わせる方法はありませんし、他人の行為の責任をあなたが背負うこともできません。各自が自分の人生の重荷を背負わねばならないのです。
イエスが全ての罪を背負ってしまうと言うことは、全ての苦難が無くなることを意味します。
しかし、現実は全ての苦難が無くなることはありません。なぜなら洗礼を受けて罪を悔い改めても、相変わらず罪びとのままだからです。罪びとだから教訓を学ぶ機会が得られ向上するのです。

洗礼以後に犯した罪の告白に対する赦しについても同様です。

 シルバーバーチは語るより抜粋
もしも自己中心の生活を送った者が、死の床での信仰の告白一つで、生涯を人のために捧げた人よりも高い界層に行けるとしたら、それは大霊(仏)を欺き、完全な公正が愚弄されたことになります。

傍若無人の人生を送った人間が死に際の回心でいっぺんに立派な霊になれると思いますか。無欲と滅私の奉仕的生活を送ってきた人間と、わがままで心の修養を一切しなかった人間とを同列に並べて論じられるとお考えですか。“すみませんでした”のひとことで全ての過ちが赦されるとしたら、果たして神(仏)は公正と言えるでしょうか。いかがですか
宇宙の自然法則は物的にも霊的にも必ず原因と結果で動いています。
例えば、プロのオーケストラに長く在籍するバイオリニストが少しの休憩後にいきなり全く演奏のできない素人になることは無く、逆にバイオリン初心者がプロのオーケストラの中でいきなり理想的な演奏は出来ません。
魂についても同様で、他人の迷惑も考えずやりたい放題の人生を送る未熟な魂が、死後にいきなり完全無欠の仏と融合して宇宙の自然法則のリズムに合わせてハーモニーを奏でることは出来ないのです。
演奏が上達するためには練習の積み重ねが必要なように、魂の成長のためには辛い経験を積み重ねて教訓を学ぶ必要があります。

未熟な教義からは未熟な思想が生まれ、未熟な思想の人々により未熟な環境が作られます。キリスト教徒は、キリスト教の教義が作り出した悲惨な歴史から教訓を学ばなければなりません。
また、それ以外の方々はわざわざ未熟な教義を取り入れる愚かな行為をしないことです。新しく未熟な思想が作られると善く諭しても自分の学んだ知識を肯定したいという利己的な欲望に負けてしまい真実を正しく受け入れられなくなります。盲人が盲人を導くところに並んでも物的にも霊的にも悲惨な結果が待つだけです。

化楽天と関係ない内容が続きますが正見に磨きをかけることはとても有意義なので、次回は釈迦、イエスの教える‘例え’についてお話しします。お疲れ様でした。(*´ω`*)

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プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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