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六欲天 No.8 神道・神社信仰1

 化楽天の続きです。

 前回の記事から一か月半以上経過しましたが、皆さんどのようにお過ごしでしょうか?

 A:前回の記事を読んでから耽溺または執着している対象を少しずつ減らしている。

 B:減らしたいとは考えたが葛藤に負けて今のところ普段通りの生活を送っている。たぶんこれからも変わらず・・・

 C:葛藤すらせず今まで通り。

貴方はどのグループに当てはまりましたか?
円グラフで割合を表すと、このような感じでしょうか。
2:8の法則
仏の真髄を知らず流転するのであれば、Aグループの結果が一番良いことは明らかですが、皆さんはそうならないように読まれていますので、現状はどのグループに含まれても問題ありません。
ただ、一つだけここから悟ってほしいことがあります。
それは「良いことだと分かっていても、実践するのは難しく、たとえ実践したとしても継続するのは更に難しい。」ということです。

例えば「経典・聖書にはこのような素晴らしい教えがあります。云々」と言ったところで、聞いている側が実践しなくては無意味となります。
宗教・スピリチュアリズム・啓発等の素晴らしい教えや立派な言葉を並べただけで民度が向上し、人々が苦悩から救われ、平和な世の中が築かれていくのであれば、もっとマシな歴史が残っています。
歴史から教訓を学ばなければ、仮初の平和に何となく流され、同じような悲劇や貧困、国難や悲嘆を何度でも繰り返します。
人間界で多くの不幸の原因を作りあらゆる生命の命を一番奪っているのは、大量破壊兵器ではなく宇宙の自然法則に逆らう宗教です。

アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃
南アフリカ初の黒人大統領、ネルソン・マンデラ氏が残した名言から一つ
「生まれながらにして肌の色や出身や宗教を理由に他人を憎む人は誰もいない。憎しみは後から学ぶものであり、云々」
言い得て妙ですね。
アパルトヘイト(人種隔離)政策撤廃へと導く体験の中で悟られたのでしょう。

我々は親・宗教・教育等の様々な環境から影響を受けて思想が作られて行きます。
そして様々な物事に接するとき、思想を通じて感じ思考します。

例えば、神国日本に仏教が伝来され神仏習合という考え方が広まることにより、「神と仏は一緒である」と考える人々が増えていきます。このような考えが長い時間をかけて人々の間に定着すると「神仏は一緒」という思想が出来上がり一般常識となります。
一般常識になると、たとえ疑問に思うAさんがいたとして「神と仏は違うのではないだろうか・・・何より字が違うでしょ?」と言っても、Cさんが「そんなの一般常識だよ、そんな事も知らないの?」と言えばAさんに集団の圧力が働き同調してしまうきっかけとなります。
なぜ集団の圧力になるかと言いますと、常識とは大多数が認める考え方および当たり前に知っている事だからです。
また、Aさんは一般常識という一言で思想に影響を受け、新たに似たような状況下での意思決定や行動に影響を及ぼす可能性があります。
もちろん神仏習合は間違った考え方ですが、神仏習合思想に頑固にこだわる人々には受け入れることができません。
このような人々は受け入れる備えが出来るまでは、閉鎖的原始信仰と無始から変わらぬ生命の源である仏(宇宙の自然法則)信仰の違いが分からないのですからとても不憫に思います。

閉鎖的原始信仰については、ヤノマミ族を参考にお話ししましたがヤノマミとは人間という意味です。
宇宙の自然法則を垣間みる霊能者を中心とした小集団ですが、霊能者は全てを知ることはできないので未熟な思想が部族の仕来り・迷信等を作ります。
ヤノマミ族の社会では部族以外は人間と認めない思想なので、残念ながら我々は人間ではありません。
じゃ・・・(´・ω・`;)人間もどき?
詳しくは六欲天No.2の仕切り線下側を改めて読まれることをお勧めします。

神社信仰は、戦後の次第に安定していく環境の中でお守り・おみくじ・絵馬・神札・賽銭箱等の全く価値の無い物に価値を付けて利益を得ながら大きく成長し蔓延ってきましたが、始まりは霊能者を中心としたヤノマミ族と変わりません。
また、支那には道教という原始信仰があります。解籤(おみくじ)・護符(神札、お守り)・陽紅布台(絵馬)・功徳箱(賽銭箱)は日本人の発想ではありません。
五円の付いたお守りは五帝銭古銭守りからの発想で、道教の陰陽五行思想を応用した風水の影響を受けています。
神体の鏡ついては、歴史について考察するブログではないので興味のある方は「天皇大帝 道教 三種の神器」で検索しましょう。
最後に道教の抬轎(神輿)です。
道教と神道・神社信仰
いずれにせよ宇宙の自然法則に逆らっていることに変わりありません。

最初は一株の毒草も仏の恩恵に浴した豊かな大地と温和な気候で美しい花を咲かせて生い茂るのです。
毒草だらけの大地にするのも、刈るのもそこに住む人々が決めることです。

神社は「日本の伝統」「日本文化の象徴」等と考えている人々がいます。
神社への初詣の参拝やお祭りが好印象を作り、お守りやおみくじ等は安全・安心を得たり運勢を占うのに手軽で、参拝は欲望を願うのに安易で好都合です。
「みんながやっているから」「楽しいから」「神社の雰囲気が好きだから」「伝統文化でしょ」等と、このような環境が思想に影響を及ぼすことは避けられないことです。たとえ宗教だと分かっていても警戒心が薄れてしまう人もいるでしょう。

しかし、歴史から教訓を学ばなければなりません。
明治維新から政府の政策により成立した国家神道が繁栄した結果、どのようになりましたか?
1868年4月5日に神仏分離令、1870年2月3日に大教宣布(天皇は神、神道は国教で日本は政教一致の国家とする国家方針)により廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動がおこり、次第に国教化が進む中で、国家権力により信教の自由を奪われ国民に天皇を神として崇拝させるだけでなく神社信仰を義務づけ、邪(よこしま)な教化進行度(マインドコントロール)の歩調に合わせて日清・日露・第一次・日中・第二次世界大戦と大戦争への恐ろしい布石とも知らずに、まるで鼻づらに人参をぶら下げられた馬のように誘導されて行きます。その結果、追いつめられて太平洋戦争に突入し、多くの命が奪い奪われたことを忘れてはなりません。
廃仏毀釈とは、「釈迦の教えを壊(毀)し、仏を廃する」という意味です。
地上での最大の罪は何か覚えていますか?正にこれです。
宇宙の自然法則に逆らう宗教は、迷信や人間に都合の良い考えが付加される等の危険で未熟な教義なので、おのずとそのような思想の者達を生み出します。
そして権力側に浸透したとき、わずかな人間が大多数の人々の人権と自由を奪い、社会的混乱から様々な事件が引き起こされ、内部分裂および最悪の結果は戦争により多くの命が奪われます。
日本人が多くの犠牲の上に取り戻し獲得した重大な成果は、「天皇人間宣言、神道指令により国家神道が解体へ向かった事、政教分離、信教の自由」です。

また神様を拝んでいるのに「神道は宗教ではない」(神社非宗教論)という可笑しな考えがあります。
これは信教の自由に違反することなく神道・神社を他宗派の上位に位置づけ、国家神道の国教化を進めるために都合良く考え出された明治政府の詭弁です。
筋道の通る教義は無く、どこに向かって拝んでいるのかも全く分かりませんが、拝んでいるのですから宇宙の自然法則に逆らう立派な明治政府公認の新興宗教です。

「宗教やってる奴は総じてアホ」「宗教はビジネス」「宗教は甘え」「宗教は総じて糞」「カルト宗教ってキモい」「無宗教が一番」等と似たような考えを持っている人々の中には、豪快に巨大ブーメランが頭に突き刺さるか、顔面を直撃している人がいるかもしれませんね。

マインドコントロールにかかりやすい人ってどんな人だと思いますか?



「自分だけは大丈夫」と思っている人です。

環境にマインドコントロールされるとは、生活の中で様々な環境が思想に影響を及ぼし、強制せずとも、さも自分の意思で選択したかのようにある結論に誘導されてしまうことです。
深いマインドコントロールから覚める瞬間とは、夢から覚めて夢だと分かるようなものなのです。

近い未来には、神道・神社思想に影響された愚かな者がこのように言いますよ。
「日本人なのに参拝の作法も知らないの?二拝二拍手一拝ぐらいは日本人の礼儀として覚えているのが当然の義務だよ!」
「日本人なのに」「日本人の礼儀として」が集団の圧力として働きます。
作法を誰が考えたかはどうでも良いことですが、そのような行為で己の魂を自ら束縛するきっかけとなっても、それで神々が何とかしてくれるような都合の良い法則は地球にも宇宙にもありません。

また、仏に従う神々が宇宙の自然法則に逆らって人々の自由意思に干渉しないことは既に述べたとおりです。
もし、神々が悩みを代わりに解決したり、病気の苦痛を肩代わりしてくれるのであれば非常に有り難いことですが、そのような事をしたら教訓を学ぶ機会がなくなります。
苦難もなければお金の心配もない安楽の人生なら、そこには向上がなく堕落しかありません。
やりたい放題の人生を送り、夢まぼろしの幸せを追い求めた魂には、必ず過酷な体験を通して教訓を学ぶ機会が与えられるのです。それが宇宙の自然法則です。

神道・神社思想の影響を受けたように、仏教思想の影響を受けない人もいません。
日本語に着目すれば、諸行無常・因果応報・輪廻・四苦八苦・因縁・供養・人間・鬼畜・意識・葛藤・煩悩・妄想・不思議・愚痴・貪欲・外道・悪口・差別・平等・安心・愛・慈悲など多くの仏教用語を思慮せずとも自由自在に自然と使えます。参考までに思慮と自由自在と自然も仏教用語です。
置かれた境遇の違いにより理解・浸透・信仰心の程度に差はありますが、日本人は様々な物事に接するとき、特に意識することなく仏教思想を通じて感じ思考することができるのです。これはとても凄いことで、仏の教えをそのまま感じ受け止められることも含め、皆さんの福徳の一つです。
ただし断っておきますが、ニセ仏教は釈迦の教えを全く守っていないので注意が必要であり、生活の中で獲得した仏教思想とニセ仏教信仰を混同してはなりません。

化楽天の続きを書く予定でしたが、前置きがだいぶ長くなりましたので本筋は次回にします。

最後に、現役?の神主が神社の裏世界を暴露されていましたので掲載します。
「神主だけど、神社の世界ゴミクズ多すぎてワロエナイ・・・・・・」
次回、このお話について少し触れます。先に各々で色々感じていただければ幸いです。

それでは、お疲れ様でした。(*´∇`*)
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テーマ : 心と幸せ
ジャンル : 心と身体

プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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