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相手の為にする?

お久しぶりです。

今、ある事で悩んでいます。幼少期の事を本人に伝えるか、で。

復讐心からではありません。もうその想いは手離しましたから。

思ったのです。
ちゃんと罪をはっきり再認識してもらって、その行いで私がどんな人生を歩む事になってしまったのか、あやふやなまま人生を終えてほしくないと。(もちろん、老いて死ぬ時にですよ(^^;)

自分の罪を認めて私に謝る事で本人の為にもなる、と。

ただ、兄弟ですからこれからも顔を合わせる訳で…。どんな顔をして会えばいいのかなぁ、って。

でも、憎む気持ちを捨てた今でも会うたび、モヤモヤ感はありますよ、やっぱりキレイさっぱりとはいかないですからね、記憶はキズとなって消す事はできませんから。
私だけこんな気持ちでずっと生きていかなきゃいけないの?っていう気持ち(..)

そういう不公平感から伝えたいっていう気持ちも確かにあります。

悩みますねぇ…。

Re: 相手の為にする?(ななまるさん)

過去の行為の過ちに正しく向き合う時、本当の苦しみが始ります。
今生なのか、霊界なのか、あるいは来世なのか、いつかは必ず向き合うことになります。
向き合うと決めるのも、苦しむのも本人です。

もし霊界または来世に持ち越すのであれば、同じような境遇におかれ、その痛みや苦しみから教訓を学ぶことになります。
ただ、何度輪廻しても正しく向き合えないために〝ただ単に苦しく嫌な体験〟で終わる人が多いです。
いずれにせよ、犯した過ちは必ず償わなければなりません。
教訓を学ばなければ善い成長は期待できず、相変わらず現在の到達している魂の進化の状態を基調に物事を見ることになります。
そのため人間界であれ、霊界であれ、進歩せず下降の一途をたどる生命は少なくありません。

マグナムは、ななまるさんの自由意思の選択には二つあると考えます。
一つは、相手の気持ちを楽にしてあげるために、こちらから歩み寄ることです。
ただし、ななまるさんだけのモヤモヤ感であり、相手が何とも感じていない場合もあります。この場合、もし〝自分の気持ちを満足させたいため〟という利己の思いが少しでもあれば、さらにわだかまりが増すことになります。
兄弟の方が過去の行為を過ちと知り、内省と反省を繰りかえす中で深く後悔し悩みぬいた果てに、自らの意思で謝るのが最良です。

もう一つは、相手の行為のすべてを許すことです。
これは非常に難しいことですが、自らの過去の所業に原因があることを受け入れられるかが重要な点となります。
不公平と感じるかも知れませんが、宇宙の自然法則は公平・平等であり、永遠と続く進化の道程の中で何一つ見過されることなく天秤のバランスが取れるようになっているのです。
相手からの謝罪の有無にかかわらず何も言わずに許してあげること、これがもう一つの最良です。
こちらのほうが前者に勝ることは言うまでもありません。
相手が人生の終わりまでに謝罪の言葉を口にすることがあれば、悩み苦しんだ程度に応じて進歩を遂げることとなります。

被害を受けた側も苦しみますが、そこから教訓を学ぶことができた者が魂を進化させ安らぎに変えていくのです。
言い方を変えれば「進化したからこそ苦難の中から教訓を学び取ることができた」とも言えます。

しかし教訓を学ぶことは容易ではないため、仏が今の時代の人々が立ちはだかる苦難の人生をどのように歩めば良いのか経典の中に説いています。
そして仏の力が今すぐ必要な方には、おおい隠されているものが、明らかになるようブログに書いてあります。

本当はマグナムの考えなど書く必要はなく、宇宙の自然法則についてだけお話すればよいのです。なぜなら、おのおの自らの祈りで一つ一つ乗り越え解決できるからです。
自らの行為で積んできた原因を背負って生まれきているのですから、痛みも、苦しみも、受けるのは本人であり、逃げるのも、解決するのも本人です。
マグナムが代わりに一分も受けてあげられない以上、自分の魚は自分で釣るべきだと考えてしまうのです。
今のはたとえですよ。ほんとに釣ったら魚も痛いですからね。(*´ω`*)

自らの歩んだ苦難の道を振り返り「あの時、あの苦難がなければ今の成長した自分は無い」と得心し、苦難で受けた傷が仏の慈悲により優しく包まれていくことで喜びに転じ、すべてが仏への感謝の気持ちで一つになった者のみが本当の幸福と安らぎに浸ることができます。
そして、仏になりたいと願う者は、少しの休息の後、さらに仏に近づかんと勇猛に前へ前へと進むのです。

実はもうひとつの選択

全てを許す、という事は犯罪自体を許す、という事ですか…。

それは、非常に難しいですね。

私はずるいかもしれません。もうひとつの選択は、やはり伝える事はせず、会うたびモヤモヤ感を感じ続ける(もしかしたら、年を重ねるたびになくなっていくかもしれませんが)、でも全てを許す事は死ぬまでにできるかどうか、可能性は低そうです。

私は、相手を憎む気持ちを捨ててすごく楽になったんです。

だけど、やった行い、罪自体を許した訳ではありません。
それは犯罪であり、許される行為ではないから。
それを許してしまう事は今の私には多分できないでしょう。
そうしたら、今現在どこかで被害に遭っている子供たちを見捨てる気がしてならないし、胸が張り裂けそうになります…

犯罪行為自体は許さなくていいですよね!?


モヤモヤ感がなくならない限り、本人を許せた事にはなりませんね、きっと。

Re: 実はもうひとつの選択(ななまるさん)

どうして被害に遭わなければならない子供たちがいるのでしょう?
このことについてはすでにお話しましたので改めては書きませんが、すべてに原因があるということを忘れないことです。重要な点を見過すと物事を正しく見れなくなります。
そうした境遇から学ぶことがあるのです。学ぶか否かは本人次第です。

犯罪行為自体も、許すか否かは本人次第です。

すべては本人の魂が進化するために必要なことです。

「太陽系で考えれば全宇宙で一番霊的進化が遅れている」というお話をしたことがありますが、あと700年ほどは更に遅れた生命が生まれてきます。
そのため今以上に五感のみで物事を見る無明の人々で溢れるために激しく対立し止むことはないでしょう。また霊的進化の遅れが自然環境へ反映しざまざまな天変地異が起こります。悲惨な事故・犯罪も絶えず、身体(主に免疫力の低下が原因)が弱くなり病気にかかりやすく短命となります。

現在でもその傾向は見られますが・・・恐ろしい時代なのです。
生まれ変わりでお話しましたが、人間界は魂の進化の程度が異なる人々が暮らしていますので、理不尽なことが起きてるのは当然なのです。しかし、それだけ進化する機会もあります。
言い方を変えれば、自らの進化の状態が今の時代に丁度よく、積んできた原因の結果として今の境遇があります。(霊界には進化が足りず望んでも人間界に生まれる機会がこない数え切れない霊たちがいることも合わせて書いておきます。)

たった一度きりの人生で終わりであれば自分の欲望のままに好き勝手やったもの勝ちですが、そうではなく永遠とつづく旅路の途中で進化のために人間界にお世話になっているだけのことです。未来の自分の境遇をすでに作り始め、これからも作って行くのです。
こうしたことを〝知識で知っている〟で終わりにするのではなく、魂で学び、書いてあることが〝真実だと知っている〟に変えていかなければなりません。

マグナムの書くことは、原因と結果の法則(仏の教え)を拠り所にしているので同じようなことしか書きません。
前の回答に考えを少し書いたのは、進化を遂げ叡智(魂で学んで知っている宇宙の自然法則)を獲得したあとに回収してもらうための伏線です。

今は「それは、ちょっと無理!」で宜しいのです。(*´ω`*)

もし人生の終わりまで得心いかず、回収できない場合は未だモヤモヤ感があることになります。

そうならないために、着目するところは〝おのおの自らの祈りで一つ一つ乗り越え解決できる方法がある〟ここです。

人間界とは

はい、原因と結果、で全ては起こっている、というのは私も分かっているのです、“あたま”では。

ただ、それを心、で分かるのはとてもしんどいんです(..)

だからこそ、そういう事が“学び”ですよね。

そう考えると、人間界ってとても過酷な世界ですよね。
同じ進化の度合いの魂しかいなかったら色んな事を学ぶ機会は少ないですよね。

Re: 人間界とは(ななまるさん)

過去に積んだ原因は覚えていないために、原因と結果の法則を加味して苦難に向き合うことは難しいです。その気持ちは良く分かります。
そのため叡智の獲得が必須となりますが、魂で感じて学ぶことを教えることはできないので仏の真髄があるのです。
仏に祈ることで仏に仕える神々のサポートを受けながら学ぶことになります。
それまでは、ここに書いてあることを受け入れ知識で補うしかありません。

例えば、
魚を活き造りにしようとした時、勢いよく暴れ押さえている側の指を深く切ってしまいました。
キズが深く「やってしまった!」と思った時はすでに遅く、遅れて鋭い痛みが襲い血がにじんできます。あまりの痛みに声を発することもできません。

この時、痛みから何を学びますか?
「ついてねぇー!」と思うだけでしょうか、
または「くっそー暴れやがって、むかつく!!」あるいは、
冷静に「今度おろすときは気を付けなければ・・・」でしょうか。
大半の方は自分を中心に思い考え終わってしまうことでしょう。
これも次にケガをしないための教訓です。

もう一つの教訓は、
指を切った痛みから、魚も切られたら痛いだろうと悟ることです。
しかし、この教訓を学ぶためには魂で学んだ深い叡智がなければ命の尊さが分からず、考えも及びません。

叡智とは魂の進化とともに得られるものです。進化の到達の程度により苦難から得られる教訓が変わります。
教訓は教えることができますが、命の尊さについての叡智がない以上すべてを理解することはできず、人によっては馬鹿げた話に聞こえるのです。
しかし、馬鹿にする者もいつかは様々な苦難をとおして学び理解するときがきます。永遠の生命の中で必ず進化するようになっているからです。
この例えから、教訓と叡智と進化について理解できると思います。

次に、人間界は確かに過酷な世界です。
ただ、過酷な世界をこのままにするか否かは皆さん次第ですから、これからどのような原因を積んでいくかで未来が変わります。

決まった運命などはなく、あるのは原因と縁により積み重ねた結果の宿命です。
宇宙の自然法則を知らなければ宿命どおりの人生を送ることになりますが、知る者は善い原因を積み宿命を変えていくのです。
このブログはななまるさんや皆さんとの縁です。
皆さんがしっかり読み、生活に活かすという原因を積むことで素晴らしい結果が得られます。

同じ進化の度合いの魂しかいなかった場合については、その通りです。
霊界がそのようになっているは結果だからです。
プロフィール

マグナムやまと

Author:マグナムやまと
危険な宗教団体廃絶
無明から光明への道標

以下、向上心のある方向け

このブログはスピリチュアリスト、または特定の宗教団体に導くものではありません。

ネット上に氾濫する宗教・スピリチュアリズム・心の探求などの誤った情報を正していくことが目的である。

心と体の関係を正しく理解することで次第に悪因を作ることを止め、生老病死を恐れず、精神的豊かさを手に入れることを目指す。

精神的豊かさは、魂の成長を意味する。
魂の成長は、死後の世界を決める。
地上生活は原因、死後の世界は結果である。
善因を作るのも、悪因を作るのも己である。

神々も含め、誰であろうと原因結果の法則から絶対に逃れることは出来ない。

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